○--静 TMI--○

 原子力関係者にとって、なんとも忌わしいあのTMI原発事故のニュースが報じられてから3カ月が経過しようとしている。

 ワシントンから車で2時間半。ガソリンの心配をよそに、薫風の候のドライブは快適そのものであった。

 3月29日、事故の第一報を受けてから、悶々とした日々を過ごしつつも、ぜひ一度ペンシルベニアを訪ねたいと思っていた。義務づけられた調査が目的ではなく、ぶらっと訪れ、遠くからそっと見ておきたかった。

 AIFの広報担当マネジャー、ビル・パーキンスが、私のTMI訪問を知り、メトロポリタン・エジソン社の広報担当者に面会できるようアレンジしょうと親切にいってくれた時も、したがって辞退してしまった。

 おそらく、その担当者は、病人が見舞い客に繰り返し、繰り返し、自己の病状経過を説明する時のように、この短期間に、世界各地から訪れた報道関係者、調査団員に、何百回、何千回と、事故の経過を説明し、まったくうんざりした気持ちでいることを察したからである。

 インターステート83を北上すると、ペンシルベニアの首都、ハリスバーグに入る。われわれの車は、その手前を右折し、サスケハナ川を渡って左岸を下流の方に行く道をとった。橋の上からすでに、TMIのクーリングタワーが視界に入る。濃緑色の河水は、河床を見せることなく、両岸いっぱいにゆっくりと流れていた。

 橋を渡って十分ほど行くと、ミドルタウンの街並に入る。事故当時、報道関係者など、多数の訪問客でにぎわったことが幻想であったか、あるいは遠い昔のことのようにありふれた小さな田舎町に、事故発生以来ほんの2カ月半ですでに戻っていた。

 ミドルタウンの街並をぬけるとまもなく、川の中州のようなスリ−・マイル島に架けられた橋のたもとに出る。そこは発電所のゲートにもなっていて、拳銃を下げたガードマンが2人立っており、部外者は一歩も入れない。そこに留まっていたのはほんの15分ばかりであったが、その間、ゲートを出入りした人はいない。

 ゲートから500メートル程下流に行くと、細長いスリー・マイル島発電所サイトの中間地点の対岸に立つことになり、そこだけは岸のブッシュも切り開かれ、発電所の全景が一望できる。四塔のクーリング・タワー、2基の原子炉建屋からドラム缶の数まではっきりと見えるが、人の気配はまったくなく、静そのものであった。

 左岸に沿った二車線の道路の反対側には、発電所のオブザベーション・センターが建っていた。ペンキの色も鮮やかな「テンパラリ・クローズ」の標識が立てられ、ここには内にも外にも人の気配はなかった。この発電所は、外からうかがう限り、喪に服している巨象のように、ユーモラスさと重苦しさとを漂わせていた。

○--動 ワシントン--○

 静まりかえったTMI原発サイト周辺とは対照的に「ワシントンは今や混乱のるつぼ」と表現すれば少々大仰であろうか。

 キャピタルヒルズでは連日TMIテスティモニーが上下両院の各種委員会で繰り広げられている。上下両院合同経済委員会、上院保健小委員会、上院原子力規制小委員会、下院エネルギー・環境・資源小委員会、下院内務委員会、上院行政小委員会、下院軍事委員会…といった委員会または小委員会でそれぞれの立場からTMI以後の原子力問題が論じられている。こういった委員会では、原子力規制委員会(NRC)の担当官、メトロポリタン・エジソン社の原子炉オペレーター、バブコック&ウィルコックス社の技術者、といった人々が証言台に立っている。

 このような議会の動きの外に、TMIをめぐる調査委員会が、主なものでも9つ発足したといわれている。たとえば、大統領任命のプレジデンシャル・コミッティー、原子力安全諮問委員会(ACRS)のアド・ホック小委員会、会計検査院(GAO)のTMI調査チーム、下院内務委員会のタスク・フォース等がそれである。プレジデンシャル・コミッティーには、学者から家庭の主婦までが委員に任命され活動に入っているが、発足後2カ月足らずで早くも委員の辞任騒ぎが持ち上がっている。