「エネルギー」という用語は比較的新しい外来語でありながら、専門用語の範ちゅうを脱して、いまや公衆の間で常用される用語の一つになっている。換言すれば、エネルギーに関する情報が、今日、あらゆるマスメディアを通して身近に入ってきているのである。
しかし、用語自体がポピュラーであることは、必ずしもその内容までが一般民衆に密着して受容されていることを意味しない。確かにエネルギーは、人間社会の中にあって、文明・工業化が進むに従い、その必要性は倍加している。それは無意識の内でのエネルギー需要の上昇であって、収穫感謝祭などにみられるような、農作物を食する時、神やお百姓に感謝の気持ちを抱かせる人関心理をくすぐる類のものでではない。言葉をかえていえば、自然界に無尽蔵に存在し、それを享受することに対する神への感謝もさして必要と思われない水や空気のジャンルにエネルギーは追いやられている。「水を大切に」、「省エネルギーに心掛けよう」といった標語は、まったくもって空しいトーンを奏でているのみである。
本来、エネルギーの概念は科学技術の中で構築され、その論理は近代自然科学の基礎を形成したものである。そこには、政治や経済の進入する余地はなかった。ましてや社会心理学的にエネルギーが論じられることもなかった。
そのような歴史的原点を有するエネルギー論争が、今日、何故政治論争に進展していったのか。エネルギー資源の枯渇が眼前に追ったことがその最大の原因であろう。裏山で自由に拾った薪が主要なエネルギー源であった頃には、エネルギーの政治論争はあり得なかったからである。
地球上に多大の技術革新をもたらし、文明の進展の大きな飛躍に寄与した石油資源の利用が、最早困難となった。石油資源枯渇の徴候である。
エネルギー供給の不安定な時期が到来すると、人間は、自然ななりゆきとして、古き良き時代のロマンを追い求めるものである。家庭においては、家計に響かない程度の代金を支払えば、電化製品、石油暖房器具、マイカー等を自由に使えた時代をであり、国家においても、大型タンカーを建造していれば、石油資源国から明日への心配もなく輸入できていた時代をである。
こういった傾向は、冷酷なまでに冷静な、真実に基づいた科学的データが欠如していれば、ますます顕著に現われる。科学的論理の基盤がない「エネルギー危機論」は、童話の「オオカミ少年」と同類であり、事態をますます悪化させることにもなりかねない。
エネルギーは、人類が地球上で生き伸びるために必要不可欠なものであること、しかし、空気や水のように努力なしに得られるものではないこと、そして、衣・食・住と同列に並べ考えねばならないものであること、を認識することである。こういった認識をなくして、今日、われわれが直面しているエネルギー問題の解決策はありえない。
エネルギー危機は、有史以来の人類の存亡が問われている、という状況を生みだしているといっても過言ではない。この危機を乗り切るために、われわれの英知と勇気ある選択をすることが、われわれのみならず、子孫繁栄のカギを握っているのである。
原子力の開発に批判的な人々の中に、その反対理由の一つとして、長い半減期を持った放射性廃棄物の長期残存を挙げ、それは子孫への負債になる、と説く人がいる。代替エネルギーの開発も成功させないまま、石油資源も使い果たしてしまっては、それこそ次代の子孫へのより大きな負債を残すことになりはしないだろうか。
いまやエネルギー論争は、その大勢が科学技術の域を脱し、政治経済の枠内でおこなわれる機会が多くなった。エネルギーの安定確保が国家経済の基盤であり、文明の進歩を大きく左右するものと考えるなら、政治経済の枠組で論じられても当然であろう。
その政治経済の畑でエネルギー戦略がたてられる際、科学技術の事実に基づいた正確なテータにその論拠を求めているかどうか、注目されねばならないところである。すなわち、科学技術と政治経済のバランスの上に立脚したエネルギー戦略であるかが重要なカギである。
しかし、今日の世界で論議されているエネルギーの政治経済論争は、科学技術の正確なデータに基づいているものとは必ずしも言えない。
OPECの石油供給政策も、サウジのヤマニ石油相が明らかにしているように、石油を政治外交の一手段として使っているし、今後その傾向はますます強まるであろう。すなわち、経済的商品であった石油が、最早や政治的商品になってしまったことを意味している。
エネルギー消費超大国の米国では、科学校術の発想からかけ離れたエネルギー論議が随所でみられる。大統領の発表するエネルギー政策案が先走り、科学技術の尺度でなされる詳細検討が追従する形をとっている。したがって、明確かつコンセサスを得た米国のエネルギー政策は、カーター大統領就任以来、いまだ決定されたことがない。
特に、米国の原子力論争は極めて政治的様相を強めてきている。それが、スリーマイル島原発事故を契機に、ポリティサイゼイションの様相に一変してしまった感がする。しかもこの傾向は、来年(1980年)の大統領選挙に向けてますます強まろうとしている。こういった風潮の中で行なわれる大統領選挙では、国家のリーダーを選出するという本来の目的のみにとどまらず、米国民が原子力を有力な代替エネルギー源として選択するか否か、その賛否を決することにもなりかねない。
わが国におけるエネルギー論争も例外ではない。「原子力がダメなら石炭」式発想は、まさしく科学技術不在の政治経済論争に他ならない。新型原子炉の導入の理由として、輸入相手国との友好外交が第一に挙げられていることも、科学技術不在の発想である。また、最近の傾向として、わが国のエネルギー専門家といわれる人々の中に、政治経済界の人が多く、科学技術界の人が少ない。これもエネルギー論争の中での科学技術−−政治経済のアンバランスの現われであろう。
米国のエネルギー政策意志決定機構の中で、連邦エネルギー省は大きな役割を占めているが、そのエネルギー長官に誰が任命を受けるかにより、大統領のエネルギー政策立案の傾向を類推することができる。共和党員でありながら民主党のカーター大統領が任命する初代エネルギー長官に抜擢されたシュレジンガーは、元ハーバード大学教授の経済学者である。今回(1979年7月)の改造人事で、シュレジンガーの後任に就任したダンカンは、コカコーラ社の社長であったところ、その経営能力をカーターに見込まれ、国防総省の海軍担当次官になった。海軍は、軍艦の建造で造船会社とのトラブルが非常に多かったが、そのトラブルをダンカンが期待どうり解決していったといわれている。そのダンカンのエネルギー長官就任は、巨大化してしまい、そのマネジメントが困難となったエネルギー省を強化・再編成しようとするカーターの意図が読み取れる。
このように、米国におけるエネルギー政策意志決定機構の中で、現在は政治経済にウェートが置かれている。こういった傾向の中から打ち出されるエネルギー戦略、とくに代替エネルギーの選択と、それに基づいた技術開発計画には憂慮すべき問題が含まれているように思われる。
今日のエネルギー問題は、科学技術、政治経済、あるいは社会心理といった幅広い分野が複雑に絡み合った問題を抱えている。したがって、そういった分野のバランスをうまく機能させた上で、エネルギー戦略は決定されるべきものであろう。
米国は、政治、歴史、文化を含めた、米国の隣国であるカナダ・メキシコ、それに軍事的つながりを持った中東の産油国、なかでもサウジアラビア、イラン、といった国々との間で、”スペシャル・リレーション”を保持してきた。この「特殊な関係」は、米国への石油の安定供給に与えるインパクトを分析するためのフレームとして注目されているものである。
米国のエネルギー戦略における中東石油の位置づけの中で、イランとサウジとの特殊な関係は重要である。とりわけサウジとの関係は、イランの政治的不安定性から考えられるリスクの大きさからみても、中東産油国の中における残された米国の最後の砦である。
以上はわれわれの研究の中での分析結果であった。しかし、最近の米国の中東関係者の間で、カーター大統領が国内的な人気政策によって、アラブの実態を無視したエジプトとイスラエルとの和平を強行したことは、米国のサウジとの特殊な関係に亀裂を生じさせることになった。」とする見方が出ている。
こういった中東に対する米国の政策の動向は、米国と中東の産油国、とくにサウジとの関係に石油の安定供給の基盤を置いているわが国にとって、非常に憂慮すべき点がある。
われわれの研究の一つの結論でもある「米国のエネルギー戦略は、安全保障政策の上に構築されている。」とする見方をするならば、米国は自国の安全保障上やむをえない状況に陥れば、石油の宝庫といわれる中東諸国との関係を断ち切ることもありうるということであろう。
このような視点に立てば、米国のグローバルな安全保障政策に村する貢献度もそのコミットの度合いも低いわが国にとって、エネルギーの定定供給のカギと考えられている米国のわが国に村する期待度は希薄であると見るべきであろう。わが国が独自に信じていた「日米のスペシャル・リレーション」も、そうなれば神話となってしまうであろう。
したがって、わが国のエネルギー戦略を考える上で対応しなければならない課題を、われわれは次の3点に絞っている(詳細は研究報告書を参照されたい)。
イ)米国を中心とした国際的な石油供給メカニズムを十分に把握した上で、米国の安全保障戦略を的確に理解し、可能な範囲でそれに積極的に参加していかなければならない。
ロ)エネルギー問題をそれ固有の問題には限定せずに、わが国がコントロールしうる可能な選択肢を検討し、政策に多様性を付加していかなければならない。
ハ)日米関係を向上させる上で、エネルギー問題だけを分離することなく、全体的な経済関係の視点を踏まえながら、わが国の役割を果たしていかなければならない。
こういった課題に積極的に取り組みながら、エネルギー供給の自立化への努力と、エネルギー開発のみならず、他の分野においても、国際的な協力の場によりいっそう積極的な参加を推し進める必要があろう。これが将来におけるわが国のエネルギーの長期安定供給につながるのである。
世界が本格的な構造的エネルギー危機に直面した時、頼れるのはやはり自国のみであろうが、最後まで、あきらめずに堅持しなければならないのは、「米国とのスペシャル・リレーション」であろう。この関係をより強固にするため、当面の具体的な方策には、以下のようなアプローチが考えられる。
イ)中東の経済開発に、経済協力を推進させながら、石油問題を生かし合うことが有効であろうが、その前提に、中東諸国の政治安定を実現する基本政策に関し、先進国側の合意が不可欠である。このため、米国に国際政治的なリーダーシップの自覚を促すこと。
ロ)イラン政変、およびイスラエル−−エジプト和平工作以降の情勢に不確定性が増しており、最近の中東政策における米国の立場は極めて困難になっている。これ以上事態が悪化する前に、米国の中東和平を含めた中東政策の基本構想とその実現の具体的見通しを聞き、その構想の中でのわが国の可能な役割を明確にすること。
ハ)米国の中東政策が失敗に帰した場合、米国の政策に歩調を合わせているわが国にとっても、中東産油国との関係は重大な危機に陥る可能性がある。わが国も含めた自由経済圏のためのエネルギー確保に、リーダーとしての米国に何らかの方策があるか否か、明確にしてもらうこと。
ホ)米国とわが国の長期エネルギー戦略を提示し合い、適宜修復を図りながら、とくに新エネルギー技術の研究開発等に協力体制を構築すること。これは、エネルギー危機に対する相互依存の精神を双方に植え付けることにも効果を発揮するものである。
ヘ)わが国にとって、石油に替わる最も重要なエネルギー源は原子力であること。最近の米国における原子力の政治的論争が、米国の原子力開発計画を大幅に停滞させ、それがわが国にも波及し、エネルギーの安定供給に致命的な影響を与えること。といったわが国の姿勢と主張を明確に提示する必要がある。そのために、米国の原子力に対する積極的な推進政策を確認すること。
われわれの研究は、必ずしも米国の今後の国際的なエネルギー政策の方向を予測することを目的とせず、米国のエネルギー政策決定メカニズムの実態とその動きを的確に把握・予測するために、いかなる情報を必要とし、また、米国のどのような動きを注視すべきかを明確にすることを意図したのであった。
とはいっても、研究ジャンルがエネルギー政策に関するものであるからして、刻々変化する世界情勢に目をつむって進める訳にはいかない。研究の主目的である米国のエネルギー政策意志決定機構のウォッチング・ポイントを明確にすることには一応の結論を導き出していたのであるが、情勢が変化する度毎に、その結論の妥当性を常にチェックする必要が生じた。
研究の一年を振り返ってみると、先ず思い出されるのは、Jimmy&Jimの蜜月時代にその2人の合作で立案された「国家エネルギー計画」が、日本への約束期限の1987年5月が過ぎても議会を通過せず、その年の11月に行なわれた中間選挙前に、ようやく通過したことである。しかし、その内容は大幅に変更されたものであった。
われわれは、研究開始当初、この法案の成立プロセスが、米国のエネルギー政策決定機構の標準サンプルであるとして、今回の研究のケース・スタディーの有力な対象に取り挙げるべく期待したのであるが、前記の事態が生じたために少々裏切られた感じを持った。ただ、パワー・ポリスティックスの視点から、議会の力が大統領より強い場合のケースとして、研究の参考には大いになった。
次におこった不測の事態は、イラン王制崩壊が世界のエネルギー情勢に与えた旋風である。われわれも、イラン革命が近々起こることは予想していた。しかし、その日が本研究の終了する1979年2月末日以前とは考えてもいなかった。研究報告書の提出期限を2ヶ月延長してもらい、米国のエネルギー戦略におけるイランの位置づけの章を大幅に書きかえる必要が生じたのである。中東諸国の内情を分析することは本研究の範囲を越えるものであったが、ことイランに関しては、やはりその国情、複雑なイラン社会を知ることから入らねばならなかった。
本研究の実施期間中、米国の原子力政策も大いに揺れ動いた。カーターが大統領就任直後(1777年4月)、プルトニウム利用の無期延期、高速増殖炉開発計画の再検討、使用済燃料再処理の無期延期を発表するにおよんで、米国内はもとより、原子力開発を推進している世界の国々の原子力産業界は大いに動揺した。1977年5月のロンドン・サミットに端を発してスタートしてINFCE(国際核燃料サイクル評価)の結論を待たずして、1978年3月、米国は核拡散防止法案を成立させたのである。この法案成立が、原子力産業界に与えた影響は計り知れない程大きなものに感じられた。
核不拡散政策−−原子力開発−−エネルギー戦略、この3つのファクターのつながりを、どう結びつけるかは、われわれの研究で、一つの大きな議論の対象になった。結局、次のような結論でまとまりを得た。すなわち、
「たとえば核拡散といった課題は、エネルギー問題の重要な課題のひとつには違いないが、国内(より明確にいえば選挙民)の利害とはあまり関係がないために、米国の主張に反する対外的な協定を例外的に結んだとしても、国内政治からみれば摩擦が小さいといえる。」
そして、報告書をまとめる頃には、INFCEの結論も、わが国や西独、仏といった原子力を積極的に推進している国々の主張が大幅に採用される動きがみられ、カーターが打ち出した核不拡散政策にも一応のケリがつき、原子力開発も長いトンネルをぬけたかに思われた。ところが、報告書の最終稿も書き上がった3月28日未明、ペンシルバニア州のスリー・マイル島原子力発電所2号機の事故が起こったのである。この事故による原子力開発、ひいてはエネルギー戦略全般に与える影響は絶大なものがあると思われたが、その詳細な分析は時間的制限もあり不可能になった。従って、「最近の米国における原子力論争は科学や技術の域を脱し、極めて政治的・社会的な問題として取られらるようになった。とくに、TMI原発事故の後、原子力論争のポリティサイゼイションの傾向はますます強まったといえる。」といった一文の追加でお茶を濁す程度で終わらざるをえなかった。
報告書の原稿を提出した後、5月、6月、7月とわずか3ヶ月が経過したに過ぎないが、その間、世界のエネルギー政策に大いに関連する動きが次々に起こっている。6月の東京サミットおよびOPECの総会、7月のカーター大統領の新エネルギー計画およびカーター政権の閣僚人事の一新の発表である。これらはいづれも、今回の我々の研究のような米国のエネルギー政策に関する研究には見落とすことのできないテーマである。
最近のエネルギー政策に関する研究には、幅広い知識と深い洞察力の他に、迅速かつ正確な分析力を兼ね備えた総合的な能力が要求さえることを、今回の研究を通じて痛感した。したがって、この研究テーマは、長期の、しかも国家政策に関する問題を研究するシンク・タンクにとって、もっとも適したものの一つといえる。
エネルギー施策立案・作成プロセスにおけるシンク・タンクの役割は従来の審議会制度に代わって、今後ますます重要視されるであろう。それだけシンク・タンクの責任は重いといえるが、自分達の研究成果やそこから出す提言に一種のもどかしさも感じている。つまり評論家の域を脱していないのである。米国のシンク・タンクと政治機構とが直結した関係のように、シンク・タンクで研究を重ねたスタッフが、その成果を持って実際の政策を作成し、実行する政治機構に入っていけるような習慣が生まれてこそ、シンク・タンクの役割は倍加するものと考える。
今回の研究には、埼玉大学の国際政治学や経済を専門とする研究者が中心となって、実際の調査、解析が進められた。先述したように、今日のエネルギー問題が、政治、経済の域で論じられていることからして、そういった分野の研究者が中心となって行った今回の研究は、一応の成功を修めたと自負している。