けたたましくアラームが鳴り響き、計器盤のライトがいっせいに点滅するシーン。給水ポンプが大音響とともに振動し始め、その回りの機器や支持フレームが倒れるシーン。多くの作業員が画面に現れ、タービン建屋から急いで逃げまどうシーン。溶接部分の欠陥を証明する証拠フィルムを車で運ぶ途中、何者かに追跡され、追いつ追われつするいつものシーン。追いつめられた車がハイウェーから転落し大破するシーン。SWATがガスバーナーで中央制御室の扉を焼き切り、ライフルが発射されるシーン−−映画は、いずれも真に迫った場面と演技で、アクション映画の醍醐味を楽しませてくれる。
この映画「ザ・チャイナ・シンドローム」は、教育映画でも、科学映画でも、ドキュメント映画でもない。興業を目的とした娯楽映画であり、まったくのフィクションである。
反原子力を唱える俳優たちによって作られたとはいえ、この映画が、それほど強い反原発キャンペーンの意図のもとに製作されたとも思えない。脚本の共同執筆者の一人、ジェームズ・ブリッジスは撮影が終わってからも作品の成果に疑問をもちつづけていたという。彼自身、技術的な分野の原子力安全問題を映画でとりあげることに難しさを感じていたのではなかろうか。
これらを裏打ちするように、ニューヨーク・タイムズ紙は封切り当日の3月16日、ブリッジスの言葉を引用して「ジェーン、ジャック、マイク等は超一流のスターであり、演出者不在でも立派に演じることができた。また、ハリウッド貴族社会にどっかとあぐらをかいている彼等は、かれらの役割を超越している原子力問題に対する考えを、映画の中で自由に表現している。単なるお説教ではなく、エキサイティングなストーリーにし、見せることを目的としたものに彼等は仕立て上げてしまった」とも伝え、皮肉まじりに「監督は飾りものにすぎなかった」という言葉も載せている。
ともあれ、映画の主要舞台は原子力発電所である。そして一般の人々の誤解を生み易く、非常に難問題とされている原発の安全性が主要テーマとなっていることにこの映画のもつ意義がある。
映画を観た人には、縦横に盛り込まれたスリルとサスペンスを十分満喫しながら、原発への不安の芽を心の奥に植えつけることになろう。
原発の運転維持管理をおこなっている民間企業の電力会社に、ある種の不信を抱くことになりかねない。なぜならば、この映画の中では電力の経営者が「安全は企業経営の次」という姿勢を、明確に打出しているからである。原発停止の新聞記事にしばしばみられる「今回の停止によって1日当たり何億円の損失である」といった電力関係者の談話を思い起こす人もいるかもしれない。
また、かつて紙面を賑わせた原子力関係のニュースを思い出させる場面もある。
一次系再循環ポンプの溶接部分をチェックするX線フィルムに同一のものが見つかり、品質管理をおこなった業者の手抜きと、数か所のX線撮影だけですべての必要個所を撮影したかに見せかけていた事実を突き止めるシーンなどはかつてのデータねつ造事件を思い起こさせる。
この映画の制作者は、1975年、ボストンの原子力発電所で偽造された溶接報告書が明るみに出た事件を年頭においてこのシーンを入れたといわれる。また水位計のゲージが計器の最高位でスティックして灯内水位が下っていることに気づくのに時間がかかった、という最初のシーンは、1970年のドレスデン2号機での事故を模したといわれている。
さらには、X線フィルムを公聴会に運ぶ途中、交通事故に見せかけて殺されるシーンは、1974年、再処理工場で働いていたカレン・シルクウッドが、その工場の安全管理に手抜かりがあるとする申し立てに行く途中、交通事故で死亡した事件から発想されたものともいわれる。この事件は不審な点が多いとして、この3月、裁判に持ち込まれたばかり。報道もされ、多くの人々が知っているだけにこの映画の場面は特に、観客の眼に生々しく映るであろう。
この映画を、専門的な眼で観ると、技術的には少しおかしい所もある。しかし、GE社をやめ、反原発運動に走った3人の技術者が、この映画のアドバイザーを努めたといわれており、原子力発電所の技術的な内容は大方正しく伝えられている。
映画の中央制御室は映画用撮影セットであるが、トロージャン・プラントの写真撮影をもとに忠実に作られだものといわれているし、タービン室なとは、実際の火力発電所でロケーションをおこなったといわれている。
このように、実際の原子力発電所をバックに、過去に報じられた原子力にまつわる報道を各シーンのテーマにとり入れて作られたこの映画を観た一般の人々は、この映画の全てが「フィクション」として説明されたとしても、スクリーンの上に、自己の概念的にもっている原子力に対する不安感を投影して観るであろうことは確実である。フィクションと真実が原子力に対する思考の中で不明瞭に重複するであろうと思われる。
このような誤った方向に、善良な国民を追いつめる事態を、私は恐れる。
石油危機に向かいつつある今日、その代替エネルギー源として、わが国にもっとも重要な原子力を国民が選択する時、このような、アメリカ人特有のブラック・ユーモアで作られた娯楽映画で、誤った印象を植えつけられることを是非とも防がなければならない。
アメリカ原子力規制委員会の報道担当官が、ニューズウィーク誌から「チャイナ・シンドローム」についてコメントを求められた時、「アター・ホグウォシュ」(まったくばかげたもの)と一笑に付したそうである。
9月中旬、わが国での封切りが予定されている「チャイナ・シンドローム」−−われわれ原子力関係者は、今日の事態を深刻に受止めなければならない。
それが強烈なパンチであろうとも、あのモハメド・アリのごとく、蝶が舞う姿を思わせるほどに、軽快な身のこなしでそれを受止めることができるのは、原子力発電プラントを設計し、運転維持管理している、われわれ原子力技術者である。
原子力の安全性については、映画スターや著名人の言葉よりも、われわれの誠意ある説明の方を、多くの国民は支持してくれるものと確信する。