本名:水口 哲(ミナクチ サトシ)
生年月日:1942年(昭和17年)8月21日(獅子座)
父:水口 茂(元中学校長)/母:水口 かず江(元小学校教諭)
曾祖父:水口俊助(丹波の豪農家、明治から大正にかけて事業家として活躍)
出身地:京都府船井郡八木町(現在:南丹市)
最終学歴:1972年、米国アイオワ州立大学工学部大学院(博士)、原子力工学科(Ph.D=工学博士号取得)。
学位論文:LMFBR(ナトリウム冷却高速増殖炉)の炉心設計
主な恩師:リチャード・A・エルワード(カソリック神父)/植木光教(元参議院議員)/Dr.グレン・マーフィ(米アイオワ州立大名誉教授)/大島惠一(東大名誉教授)
尊敬する偉人:マリー・スクロドフスカ・キュリー(キュリー夫人)
血液型:O型
趣味:日曜大工、園芸、茶道、料理、美術工芸品の収集
ペット:ドーベルマン
<活動の履歴=Parsonal History>
| 1967〜68年 | 米国ノートルダム大学物理科助手。 |
| 1973〜72年 | 米国アイオワ州立大学原子力工学科助手。 |
| 1972〜73年 | 東海大学工学部講師(原子力工学)。 |
| 1973〜76年 | ゼネラル・エレクトリック日本支社、原子力事業部核燃料・許認可担当課長。 米国GEでBWR研修上級コース終了証書授与。 |
| 1976〜78年 | 「(株)日本NUS」入社(78年退社)原子力コンサルタント。 韓国電力のコンサルテーションなど担当。 |
| 1977年 4月 | 行動するシンク・タンク推進グループ(ATTグループ)設立、代表幹事。 「原子力が国民に理解を得るための方策に関する研究」、 「原子力安全システムの合理化に関する考察」、 「原子力発電所からの声−−作業従事者実態調査報告書」など発表。 |
| 1978〜83年 | 「(財)工業開発研究所」エネルギー政策担当主任研究員。 「ヨーロッパにおける発電プラント維持管理システム実態調査団」に幹事として参加。 |
| 1979年 1月 | 第一回エネルギー推進全米市民大会に、リチャード・アレン氏(元レーガン大統領の安全保障担当補佐官)の推薦をうけ、ゲストスピーカーとして招待さる。 海外調査団「米国におけるエネルギー・原子力推進市民活動」に参加。 |
| 3月 | 朝日新聞の「論壇」に投稿「原発の必要性をPRせよ」。 社会経済国民会議主催の「エネルギー問題管理者研修会」にシリーズで講師を務める。 |
| 11月 | 第一回日米独原子力政策会議(ハワイで開催)に出席。 |
| 1980(昭和55年) | 第二回エネルギー推進全米市民大会(シカゴ)にゲストスピーカーとして招待さる。 海外調査団「欧米における原子力PA活動」に参加。 |
| 8月 | 朝日新聞の「論壇」に投稿「エネルギー開発に市民参加を」。 朝日新聞の記者研修会で高木仁三郎氏と論争(約3時間)。 |
| 1981年 5月 | 日本テレビ「竹村健一の世相講談」に出演。 |
| 6月 | 朝日新聞「私の主張」でインタビューを受け、1981年6月1日付け朝日新聞に掲載される。 |
| 6月 | 「エネルギーと暮らし・市民の会」設立、代表幹事就任。 |
| 1982年〜 | 経済広報センター主催「内外経済事情セミナー」の講師陣に加わる。 |
| 3月 | 原子力文化振興財団主催「電力関係者対象原子力講座」で講師を務める。 |
| 1983年 | アメリカ原子力学会発行の「原子力とその周辺・Q&A」の翻訳と発売権取得。 |
| 1983年 3月 | 「エネルギー問題市民会議」の宇治田一也氏と対談、「エネルギーフォーラム」に収録。 |
| 1983年 8月 | 第三回日米独原子力政策会議(奈良で開催)の事務局長を務める。 |
| 1983〜85年 | 石川県(志賀町)、高知県(窪川町)、山口県(萩、上関)等の対話集会で講師を努める。 |
| 1985(昭和60年) | 米連邦国務省から招待され日本代表として16カ国の代表20人とともに全米エネルギー関連施設視察(30日間)。 |
| 3月 | エネルギー教育副読本「どうなっている世界の経済・暮らし・エネルギー」企画・編集、発行は経済広報センター。 |
| 1987年10月〜 | 「世界日報」紙にコラム「原子力の展望」連載。 |
| 1988年 9月 | 中部原子力懇談会主催「欧州原子力環境視察団」に顧問として参加。 |
| 1989(平成元年) | 「(株)ユートピア開発研究所」設立、代表取締役就任。パソコン通信ネットワーク「エナジーNET」を開局。 科学技術庁から原子力公報プロジェクト受託。 電気事業連合会の月刊ニュースレター「FEPCブリーフィングノート」の編集から配布業務を受託。 |
| 10月 | 朝日新聞社広告部主催パネル討論会「女性にとってエネルギー問題とは」に女優の中野良子さんらとパネラーに。 |
| 1990年 | パソコン通信の簡易端末システム「たっちくん」の開発に成功し販売開始。 |
| 1993年11月 | 原子力業界リーダー研鑽グループ「ニュートピアクラブ」設立に参画し、幹事・事務局長に就任。 |
| 1994(平成5年) | コンピューター通信ネットワーク運営会社「(株)ジー・エヌ・エス」設立、代表取締役就任。 インターネット・ホームページ開設。パソコン通信とインターネットの相互乗り入れが可能なコンパクトなシステム「ユートス」の開発に成功。 |
| 1995年 3月 | 阪神淡路大震災の状況を電力幹部らと視察。 |
| 1996年 3月 | 「STAビレッジ」の「議論の部屋」から収録した「原子力の声」を編集・発行。 |
| 1997年 | 原子力産業現状視察:動燃東海事業所事故現場、停止間近の東海発電所(ガス炉)。 |
| 1998年 | 原子力産業現状視察:浜岡5号機の建設予定地の地下岩盤調査現場。 |
| 8月 | 「かえるの声」の二代目主筆・編集長に就任。 |
| 1999(平成10年) | 原子力産業現状視察:原子燃料サイクル施設、東通・新立地原発建設現場、大間・原発予定地。 |
| 11月 | バーチャルラボ「原子力問題研究室(G研)」を主宰し、コンピューター通信で発信開始。 |
| 12月 | 他業種交流の放談会の世話役就任。 |
| 2000年 2月 | 基地問題とサミット会場で盛り上がる沖縄の視察。 |
| 7月 | 阪神淡路大震災から5年の神戸、復興状況視察。 |
| 11月 | 原子力産業現状視察:核燃料開発機構の東濃地科学センター。 |
| 2001年 6月 | プルサーマル計画を住民投票で拒否した新潟県刈羽村視察。 |
| 9月 | 原子力産業現状視察:三菱重工業神戸造船所、原子燃料サイクル施設。 |
| 2002年 6月 | 地方自治体と産業界との接点調査で福島県訪問。 |
| 2003年(平成15年)12月 | 「かえるの声」1面に「吾輩はドーベルマンである」の連載はじめる。 |
| 2006年(平成18年)5月 | 著書「吾輩はドーベルマンである」をURDから出版。 |
| 11月 | 長年の交友関係を継続させることを目的に「ドーベル会」を発足させ、世話役に就く。 |
| 2007年(平成19年)1月 | 26年半続いたミニコミ紙「かえるの声」を廃刊にする第318号が最終号 |
| 2007年(平成19年)2月6日 | 東京新聞/中日新聞の「ハローペット」欄に愛犬のドーベルマンと共に紹介される。 |
| 2008年(平成20年)5月 | インターネットの「趣味人倶楽部」の中でプライベートコミュニティ「下町のお茶会に参加しよう会」を立ち上げ、自ら管理人となる。 |
[主な著書]
「アメリカのエネルギー戦略とその政治的側面」共著、NIRA
「原子力・いまアメリカでは」編著、東洋経済新報
「原子力とその周辺−質問と回答」監訳、CAEL
「エナジー・カード」共著、URD
「原子力が国民に理解を得るための方策」共著、ATT
「原子力安全規制システムの合理化」編著、ATT
「原子力発電所からの声」編著、ATT
「ウェルカム世界の友−USA30日の旅」著、CAEL
「原子力推進、市民運動のすすめ」執筆・監修、URD
「吾輩はドーベルマンである」著、URD 等
[主な論文]
「Cd等の放射化分析の手法」ISU修士論文
「LMFBRの炉心設計」ISU博士論文
「高速増殖炉の炉心設計」日・米原子力学会
「ガス冷却炉の将来性」原子力工業
「原子力発電技術の将来ビジョン」IRI
「エネルギー論争のポリティサイゼイション」NIRA
「愛される原子力”ニュートピア”への提言」実業の世界
「TMI−−その後の原子力論争」電気新聞
「脱石油のリリーフエース−−高速増殖炉」21世紀フォーラム
「エネルギー推進市民運動の提唱」エネルギーフォーラム
「原発の推進と核不拡散の論理」The POLICY
「原発への信頼恢復の道」改革者 等
「技術者と原子力広報」電通報
「市民討論の輪を」経済広報センターだより
「国民のための原子力開発」世界日報
[主な講演テーマ]
「エネルギー問題」「原子力問題」「エネルギー教育」
「地域開発と原子力開発との共存共栄」「市民の権利と義務」
「エネルギー教育論と実践」「原子力広報の理論と実践」
「PRのツールとしてのマルチメディア」
「コンピューター通信における原子力論争」