「週刊ポスト」2001年6月15日号

 /大論争ぼっ発
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  石原慎太郎が怪気炎「東京湾に原発を」

     「プルサーマル」の地元は「やれるものならやってみろ」と反発

<その2>


<P.194、1段目、3行目から>−−−−−−−−−−−−    
 「新潟の村がですね、これは私にいわせると問題があるんだな。   
 原子力発電を受け入れるということで(村に)社会資本をいろいろつく
ってあげたのに、できちゃったら、もう、いいと。          
 プルサーマルという、プルトニウムを再生する方法でね。使っちゃった
らもう一度使えるというリサイクルする方法でやろうと思ったら、原子力
発電所は危ないから(反対というのは)、わけの分からない理屈ですよ」
 日本のエネルギー政策において、原子力は重要な役割を演じ続けている。その施設を引き受けるに当たって、地元はそれなりの見返りは受けたはずだ・・・などといった不満は、原子力を進めてきた者なら誰しも持っている。

 また、ウランで運転してきた原子炉の中でできてきたプルトニウムを分離して不純物も取り除き、綺麗にしたプルトニウムとウランを混合した燃料(MOX)は危険、という考えは理解に苦しむ。元々入っていた燃料ではないか。

 ただ、「プルトニウムは危険」という外部の狂信的な反対派の声が聞こえ、恐怖感を煽っている環境で、地元住民の方々がネガティブな感情を抱いている状況は理解できる。

<P.194、2段目、8行目から>−−−−−−−−−−−−    
 「この間、東海村でね、臨界事故を起こして日本の旧人の功を一気に欠
いてしまった。                          
 日本の原子力発電所の管理体制は世界で一番ですよ。これはIAEA 
(国際原子力機関)という世界のオーソリティ(権威)が絶賛してる。 
 (原発建設反対の住民投票は)まァ、一部の反体制の人たちをたきつけ
てね、日本をぶっ壊してしまおうってことなんでしょう。       
 電力の供給、東京で止まったら困るしね。ですから、東京は東京で努力
しなくちゃいけない」                       
 発言の断片だろうが、雑談の中での発言としては、的を射た発言だと評価している。だいたいこの程度の発言すら政治家は原子力問題に言及しようとしない。その点からすれば、石原知事は、常日頃から良く勉強されている。

<P.194、2段目、26行目から>−−−−−−−−−−−−   
 「私は東京湾に原子力発電所をつくっていいと思うほど、原発は安全な
ものなんですよ。そうするともっと問題が起こるでしょうし、別に明日か
ら原子力発電を東京でやるっていうわけにはいかないけど」−−。   
 石原慎太郎東京都知事は、長年、国会議員を務めてこられ、しかも与党自民党党員として、日本の政策立案・運用に携わってこられた方で、原子力発電は必要で、日本の安全管理体制は信頼に値すると思っておられるのは当然である。

 もし、「国会議員から知事に転出したから」とか、「自民党員を辞め無所属になったから」という理由で、それまでの「原子力推進」から「反対」に180度転換すれば、それこそ政治家としての資質が疑われるだろう。

 また、「東京湾に原発を」という発言も、石原知事の以前からの持論で、真新しいものではない。1999年の春に開かれた日本原子力産業会議の年次大会に招かれた石原知事は、その講演の中で「東京湾にも原子力発電所の建設を検討するべきだ」とはっきり述べられている。

 さて、「週刊ポスト」の記事の中で、特に「異議あり」となる部分を抜き出し、解説を加えておこう。

<P.194、3段目、11行目から>−−−−−−−−−−−−   
 住民投票実施に中心的役割を果たした「私たちの声を村政にとどける会」
代表の笠原正昭氏が語る。                     
 「私の立場は賛成、反対にかかわらず、あくまで住民投票を望むという
立場ですから、これは個人的見解ですが、よくああいうことをぬけぬけと
いえるなァ、と思います。                     
 東京湾につくるというなら、ぜひ、やっていただきたい。つくれるもの
ならやってみろ、といいたい」                   
 これでは議論と言うより、喧嘩に近い論争ではないか。電力の供給地と消費地とを対峙させるような問題ではない。消費地は、電気代を払い、税金も払っている。供給地は、それを元に、発電所の固定資産税を始め核燃料税までの税収が増え、電源三法に基づく交付金も入る。双方は「持ちつ持たれつ」という考えにはなれないのだろうか。

         <次につづく>