<上関原発>「ゴーサインは慎重に」
と題する社説である。
地球温暖化の防止策が暗礁に乗り上げているというのに、二酸化炭素を出さない原子力発電所の建設計画がようやく動きだそうというとき、まだまだ「ゴーサインには慎重たれ」という主張である。
上関原発建設計画が大きな局面を迎えているといっても、ようやく地元山口県知事の同意が得られそうな段階で、それが得られれば、次の段階の電源開発調整審議会(電調審)に上程でき、そこを通れば、ようやく日本の国の電源開発計画として認められる、ということになる。
国の計画に組み入れられても、新潟県巻町のように、土俵際まで追いつめた相手の足が徳俵にかかっていたため、そこから逆転で土俵中央に戻される、といった事態もあり得るのだ。そうでなくとも、安全許認可申請、工事認可申請など、通常の建設前の諸準備の他に、いろいろな許認可申請などが目白押しである。
中国電力は、上関原子力発電所1号機の建設を平成18年9月に着工し、平成23年11月に運転を開始したい意向のようだが、その間に少し残っている用地買収が滞りなく進み、地元との協力関係もうまくいき、許認可申請にも何ら問題がなく・・・、すべてがうまく運んだ場合の理想的なスケジュールと考えてよい。
第一、用地買収一つをとっても、予定地は革新系の広島市長をはじめ、反対派多数が「一坪地主」になっている。その一人ひとりと個別に交渉して売ってもらわなければならない。民間の電力会社が進める発電事業は、公共事業とは認められず、土地収容法の適用など望むべくもないのが現状である。
また、上関原発の建設計画が進められてきた過去の経緯も見てみよう。
上関町の当時の町長が、町議会で「町民の合意があれば誘致してもよい」と、原発誘致の意志を公式に表明したのは、昭和57(1982)年である。今から18年も前のことだ。それを受けて町は、電力会社へ事前調査の要請をし、「適地である」旨の報告を受けた町議会は、「誘致請願」の採択と誘致決議を昭和60(1985)年に行っている。それをスタートとしても15年も前のことだ。
また、現在の片山町長が初当選した昭和58年以来、今日までに行われた5回の町長選挙に落選することもなく、一貫して原発誘致を唱えている。これでも「地元の合意が不十分」と主張するのだろうか・・・。
原発建設計画には、用地の主権者との交渉と同じように、地元漁業者との交渉も非常に重要だ。必要な用地が買収できても、漁業組合との交渉がうまく行かなければ、計画は一歩も進まない。三重県の芦浜がその典型的な例である。
上関の場合、交渉しなければならない漁業組合は8団体あった。たった一つの漁協を除いて、7漁協は、平成元年から2年にかけて、立地環境調査実施の基本同意を決議してくれたことからも、実に協力的である。
その後の漁業補償契約に関わる交渉も、特に主な漁協とはうまくいき、今年(平成12年)の春には、四代漁協、上関漁協、共第107号漁業権管理委員会の三団体とは、漁業補償契約を無事に締結した。
今年の秋(平成12年10月)には、通産省主催の第一次公開ヒアリングが開かれた。例によって、地元の会場前には反対派が押し寄せ、参加者の入場を阻止しようともみ合い、開会時刻が多少遅れたが、無事終了した。公開ヒアリングは、地元の方々の、反対、賛成に関わらず、国の原子力行政当事者に直接主張できる、あるいはそれらの意見が聞ける絶好のチャンスだが、それを邪魔しようという反対派の企みが理解できない。
自分たちの主張が正しいとするなら、正式な場に出て、正々堂々と主張すればいいではないか。
以上が、今回の朝日新聞社説に対する相対的反論である。各論は次のページに書いて行く。