日本経済新聞(2005年11月22日)

[経済教室]

     京都議定書から逃げるな

        目標達成に全力を  対策には経済的効果も

                    明日香 壽川
                   (あすか・じゅせん、東北大学教授)

(その2)


 炭素税の導入は京都議定書の目標値に近づける有効な手段としても、原油価格の高騰によってすでに経済活動に支障を来していることは明らかであり、その上の炭素税の導入となると、ますます圧迫しかねないのも事実である。

 また、省エネも、「もったいない」という言葉に代表されるような精神主義的省エネだけでは、「省エネ大国」の我が国でももう限界に近づいていると言わざるを得ない。

 省エネ分野にまだ余裕があるとするなら、エネルギー消費における効率化、すなわち熱効率を上げる技術の開発に未来を託すほかないと思われる。

 「では京都タイプに立脚した場合、各国の目標設定に関して、どのような具体的枠組みが考えられるだろうか。目標設定方法は結局、二酸化炭素排出という限られた「資源」の分配問題に帰着する。したがって、一人あたりの排出量や一人あたりの所得などを指標にして、すべての国に対して段階的なコミットメントの義務づけを行うのが最も公平かつ合理的だと筆者は考える」

 発展途上国は、エネルギー消費量もそれだけ少なく、従って二酸化炭素排出量も少ない。よってこの類の国は、地球温暖化を抑止する上においては模範となりうる国と評価されようが、地球全体の経済発展と環境を両天秤に掛けた総合的な判断からは評価できない。

 したがって、二酸化炭素排出量を「一人あたりの排出量」や「一人あたりの所得」などを指標にして算出された、それぞれの国の排出削減目標値などは机上の空論に過ぎない。ましてや「コミットメントの義務づけ」など、世界政府といった一つの政府でない国際社会では不可能である。

 「削減目標値」は、あくまでも各国の「努力目標値」であって、「義務」など受け入れられるはずがない。一国内なら、「義務」を果たす代わりに「権利」が主張できる。国際社会で、二酸化炭素排出削減目標値を厳守するという「義務」が各国に科せられたら、各国はどのような「権利」が享受できるというのか?

 「温暖化問題において難しいのは、電気のない生活をしている人が約16億人もいる途上国の人々に対して、先進国の人々と同じようにエネルギーを使うことは将来許されなくなる、と言わなければならないことと、そのエネルギーを一人あたりで世界平均の約2倍(途上国平均の約5倍)以上も使っていて、かつそのようなライフスタイルこそが理想だと考えている先進国の人々に温暖化ガスという汚染物質の大量排出者としての「加害者意識」を持たせなければならないことである」

 いま現在、電気のない生活をしている人が16億人もいて、その人たちが電気を使うようになったらどうなるか、と恐れることはない。

 電気、すなわち二酸化炭素の発生源と考えるから恐ろしいのであって、二酸化炭素を排出しないで電気をつくり出す発電システムの原子力発電を大々的に取り入れ普及させれば、何ら恐ろしいことはない。むしろ、電気を使わない不自由な生活を強いられている人たちに光があてることになる。

 「言うまでもなく、省エネや新エネの普及によるエネルギー安全保障面への貢献は大きい。また、省エネが進んだ社会というのは、例えばトヨタ自動車のプリウスが世界中で爆発的に売れている社会である。そのような状況が日本経済に与える効果は決してマイナスだけではないはずである」

 ここでいう「新エネ」に原子力が含まれているなら、エネルギー安全保障面に貢献するのは間違いないが、風力や太陽光に期待しての発言なら、望み薄といわざるを得ない。

 トヨタのプリウスは、電気とガソリンで走るハイブリット車で、ガソリンだけで走る従来の自動車よりは省エネが可能だろう。しかし、もっと省エネになり、もっと二酸化炭素排出削減になる自動車がある。それは電気自動車だ。

 二酸化炭素を排出しない原子力発電からの電気を充電して走る電気自動車が普及した社会こそ、地球温暖化を回避できる社会といえよう。

              「G研」代表

(次ページに続く)