シンポジューム「21世紀のエネルギー選択」 主 催:朝日新聞社 後 援:通産省、科学技術庁 と き:2000年1月25日 ところ:東京・有楽町「朝日ホール」 出 典:朝日新聞(2000年2月11日) 浅丘美恵氏(弁護士)の意見要約から > エネルギー問題についてリスクを評価し、選択するのは私たち市民だ。議 >会や政府、あるいは専門家に任せるのではなく、私たち一人ひとり、みんな >で考えて、科学的、理性的に議論し、納得いく選択をしていかなければなら >ない。それはそうなのだが、そのためには市民一人ひとりが相当勉強しなければならないことだけは確かだ。「原子力は何となく恐いから」とか、「自然エネルギーは綺麗そうだから」といった感情でエネルギー源の選択をしたら、子孫に禍根を残すのは自明だ。何故なら、エネルギー問題は全地球的にかつ長期的に捉えなければ解決策は見つからないからだ。
> 政府は一貫して原子力依存政策をとってきた。臨界事故を経ても、201 >0年までに20基増設し、原子力の発電量を全体の45%に高める計画は変 >えないといっている。欧米諸国の多くは脱原子力の方向にあるのに、日本は >大変特異な国になっている。かつての石炭、石油というように、一つのエネルギーに依存すべきではない。諸事情が許すなら、できるだけ多種多様なエネルギーを適切に組み合わせて行くべきだということは承知している。しかし、日本は、世界一資源小国で、世界一中東の石油に依存しているという国だから、それに見合ったエネルギーの選択はある意味では特異なものに偏らざるを得ない時期があってもやむを得ないだろう。
> だが、日本も原子力の岐路にある。原発受け入れの素地が見当たらない今、 >大事なことは、高速増殖原型炉「もんじゅ」の研究開発やプルサーマル計画 >は中止し、私たちも消費のパターンを見直して原子力への依存を小さくする >ことだ。「はじめに原子力関連の研究中止ありき」ではなく、「エネルギーの消費パターンの見直しこそ最初にありき」なのである。電力の需要が大幅に落ちるという時代が来ても、大規模な原子力発電所など新たに建てる必要は、当然なくなる。しかし、強制的に省エネ社会に向かわせるため、供給を極端に減らすという政策は、余りにもリスクが大き過ぎ、諸手を上げて賛成しかねる。
> 温暖化対策は世界の緊急課題だ。先進国は今後数十年で、二酸化炭素排出 >量を現在より70%以上削減していこうとしている。だが、日本政府のシナ >リオは原発推進に大きく依拠し、本来とるべき温暖化対策を遅らせている。 >また、温暖化対策がめざす持続可能な社会には、人の生命、健康や環境に別 >な負荷を引き起こす原子力という選択肢はないと考えるべきだ。二酸化炭素ガスを原子力の推進なくして70%もどのようにして削減しようというのか? 原子力に勝る温暖化対策があれば、具体的に示してもらいたい。温暖化対策は原子力に任せる、と言われても困るが、この地球温暖化対策は、なりふり構わず、あらゆる手段で取り組まなければ、それこそ取り返しがつかないことになるそうだ。
> 二十世紀型の大量生産、大量輸送、大量消費、大量廃棄の見直し、生活様 >式の転換が迫られている。原子力推進は電力消費の拡大が前提。節エネ、省 >エネの要請に逆行している。電力会社が温暖化対策を原発推進の錦の御旗に >しようとする一方で、石炭火力発電所をたくさん増設しようとしているのは >理解に苦しむ。またおかしな論理が展開されている。肥満体の人が、「甘いお菓子を買ってくるから私は太った」と言っているのと同じだ。太るのが嫌なら、自己の責任においていくら目の前に菓子を積み上げられても手を出さなければいいわけだ。原子力発電所を建てるから電力多消費社会になった、といいたげだが、言いがかりもほどほどに願いたいものである。
> 資金と時間には限りがある。重要なのは方向性だ。原子力を抑制、削減し、 >そこに投入してきた税金を再生可能な自然エネルギーの普及に役立てる。社 >会的、経済的な仕組みづくりを急がなければならない。これも反対派がよく主張してきた論理だが、科学技術というものは、金をかければかけるほど成果が上がるとは限らない。そんな単純なものなら誰も苦労しない。しかし、わが国の新エネルギー関連の研究予算は、1999年度で、原子力のそれとほぼ同額になっていることに注目しよう。原子力は1317億円だったのに対し、新エネは1012億円だったのである。
原子力の予算を限りなくゼロにして、新エネ関連を倍の2000億円にすれば、加速度的に実用化が実現すると言いたいのだろうが、そうは問屋が降ろさない。理由は、このシンポジュームのパネリストとして参加した内山洋司氏の意見を参照されたい。氏の意見は「同感するG情報」の方にアップしてある。
「G研」代表