
「朝日新聞」(2003年1月28日)
社説 もんじゅ判決
<その1>
高速増殖炉「もんじゅ」の設置許可は無効という名古屋高裁金沢支部の判決は、我々原子力関係者にとっては予期せぬ判決であった。各地の原子力発電所に対して建設・運転差し止めを求める行政訴訟は当たり前のように行われてきた。しかし、そのいずれもは、国が負けるような判決はなかった。
それは当然といえば当然だった。立法の国会がつくった法律に基づき、行政の政府が手続きをとり、その手続きを巡って行政訴訟を起こされたとき、司法の裁判所が法律で規制された手続きを適切に行ったかどうか、審議して判決を下すという三権分離の原則が守られているかぎり、しかもまた法案を元々つくった行政府がその法律を誤解して間違いを犯すことはないと思われるからである。
今回の「もんじゅ」の判決は、一審の福井地裁で勝って控訴審の高裁で負けたのであるから、特異な判決と言わざるを得ない。
ただ、ここで最終的に決着したのではない。最高裁への控訴・判決が残っている。行政訴訟を起こしている人たちは、国に控訴しないで、2審の判決に従って高速増殖炉の開発を断念するよう働きかけているやに聞いているが、科学技術の研究開発は、それが明らかに法的に違反するものでない限り、司法が安易にブレーキをかけられるものではない。
ましてや高速増殖炉の開発は、「もんじゅ」が最初ではなく、我が国だけでもステップバイステップの長い道のりであった。その金属ナトリウムを減速材を使った原子炉の設置許可が無効とするなら、「もんじゅ」以前の実験炉「常陽」の設置許可も無効だったということになる。
しかし、行政の安全審査も司法の裁判も人間がやること、間違いはまったくなかったとはいえない。だからこそ、安全審査には「ダブルチェック」のシステムが導入されており、裁判には3審までの控訴が認められているのである。
今回の判決を巡って、新聞各紙は、判決が出た翌日の1月28日の朝刊に社説を掲載している。判決の重要性を物語っている証拠であろう。
ところが各紙の論調はまちまちで、特に日本を代表する朝日、読売、両紙の論調は正反対なのだ。我々は、読売の社説を「同感」と指示し、朝日の社説を「異議あり」と判定を下さざるを得ない。
それぞれの社説は、それぞれ「同感するG情報」、「G情報に異議あり」に掲載するが、我々の両社説を比較対象にしたコメントは、同じものを両ページに掲載する。
[キーワード]
読売は、「もんじゅ訴訟」として訴訟が継続していることを印象づける当たり前の言葉を使っている。しかし、朝日は、「もんじゅ判決」とあたかも最終判決は下りたような表現をとっている。いずれが正しいか、まだ最高裁への控訴が残っていることからして明らかだろう。
[見出し]
読売は「疑問多い<設置許可無効>の判決」と、2審の判決そのものに対する意見であるのに対し、朝日は「廃炉含め、見直しを」と、我が国のエネルギー政策そのものを見直すようせまっている。高裁の判決は直ちに最高裁で再度審議されようが、エネルギー政策は、ただの一度の否定的な判決が出たというだけで、簡単に見直し作業を安易にはじめることは出来ない。なぜなら、エネルギー政策は、グローバルな視点で、長期展望でつくられたものだからだ。
[書き出し]
読売は事実の概要をごく簡単に書いているのに対し、朝日は「建設前の安全審査が不十分だったことを認め、原子炉の設置許可を無効とする判決を下した」と、事実を歪曲して表現している。事実は、「建設前の安全審査が不十分だったことを認め」たのではなく、「不十分だった」と高裁は「判断」したのである。
[原発訴訟の歴史認識]
読売は「国の安全審査を経て建設された原子炉に対し、設置許可無効の判断が下されるのは日本では初めて」と正しく表現しているのに対し、朝日は「原子炉の運転ができなくなるような判決は初めて」と事実を曲げて表現している。今回の判決とて、「運転差し止め」なんていう判決ではなく、「設置許可手続きをやり直せ」という判決なのである。