「中央公論」1999年12月号

 「慚愧の一念−−−科学者として長官として」

     有馬朗人(前文部大臣兼科学技術庁長官)
     聞き手・浅羽雅晴(読売新聞編集委員)

[P.52−P.53]
>私自身が反省している点は、臨界状況の把握に時間を要したことです。当初、
>どういう事故が起こったのか情報があまりにも少なすぎました。
 こうおっしゃっているのでしたら、なぜすぐさま現地へ飛ぼうとされなかったのでしょうか。そのあとのご発言で、9月30日午前11時19分のファックスで「臨界事故の可能性あり」という情報をご覧になっていらっしゃいます。にも関わらず、13時以降、文部省に出向いて、予定の打ち合わせに出られたり、その日限りで退任される予定のため(実際は延期)、大臣室の片づけまでされていたようですね。

 科学技術庁に事故対策本部の設置を了承されたのは14時30分とか。その前の片づけをされている最中にも、現場で作業していたJCOの社員3人の被ばく量が多く、病院に運ばれたという情報も頻繁に入った、とおっしゃっているではありませんか。

 情報収集に勤め、頻繁にご報告していた科技庁の職員は、せめてこういう時こそ長官室にいてもらいたいと思ったのではありませんか。

[P.54]
>これだけではすまないだろうということで国としての政府事故対策本部の設
>置を了承し、15時に作った。ここを強調してほしいのですが、国としての
>対応が決して遅かったわけではない。メンバーが集合するのに時間がかかり、
>政府事故対策本部の第一回の開催は16時50分になりました。この間、大
>学審議会が最終日だったため、総会と懇談会のあいさつに5分だか10分ず
>つ出かけました。
> 明らかに私が甘かったと反省していることは、野中官房長官へ電話をした
>のが18時10分頃で、もっと早く申し上げるべきだったということです。
 どうも理解に苦しみますね。政府事故対策本部の設置が決まったのは15時、その第一回会合が開かれたのは16時50分、官房長官へ最初の事故報告されたのが18時10分頃・・・、政府の対策本部の設置に官房長官の了承は必要なかったのですか? そしてその会合にも官房長官は出席していなかったのですか?

 これは、恐らく、先生の勘違いでしょう。事故の経緯は、今後の教訓にするためにも非常に重要で、秘書官のメモでももらってこられてから発言されるか、原稿の校正もちゃんとしていただきたかったと存じます。

 先生のお考えが甘かったのは、官房長官への電話が遅れたことではなく、科学技術庁長官室などにいて、事故収拾に陣頭指揮を執ろうとされなかったことです。こういう時のトップは、ウロウロ出歩かないで、ドーンと腰を落ちつけることです。

         (つづき)