<読売新聞>(2002年4月9日)

[社説]=====================「電力自由化」
       発・送電の性急な分離は危険だ

<その2>


 数年後には一般家庭でも、複数の電力販売会社から、好きな公社を選ん
で電気を買えるようになりそうだ。電話と同様、電気でも活発な値下げ競
争が期待される。                         
 値下げ競争がエスカレートすれば、すなわち電気代が安くなれば、省エネは進まなくなるだろう。安ければ電気を大事に使おうなんて考えは起こらなくなると予想される。

 第一、現行の日本の電気料金が、諸外国と比較してもそんなに高いとも思えない。こういう公共料金を比較しようとした場合、単なる為替レートで換算しての比較でいいものだろうか? 物価指数、平均収入などを多面的に比較せねばならないと我々は思っている。

 燃料のほとんどを輸入に頼らなければならない日本の電気料金、むしろ良心的な料金と思うが、ただ、世論が、「地域独占」を外し、誰でも電力事業に参加できる自由化になれば競争原理が働き、どんどん安くなるに違いない、といった論理が大勢を占めるようになったのだから、受け入れざるを得ないのだ。

 でも、今後、既存の電力会社がはじいてきた電力料金は少しは安くなるだろうが、ご期待に添えるにはほど遠いだろうと思っている。電力業界の「ユニクロ」が出てくるか、我々も興味津々で待っているのだ。

 全面自由化には、基本的に賛成だ。しかし、米カリフォルニア州の電力
自由化が大停電と料金暴騰を招いたように、性急な自由化は混乱を引き起
こす。欧米の先行例を踏まえ、慎重に進めるべきだ。         
 「カリフォルニアは政策が間違っていたのであって、自由化そのものが間違っているのではない」などと、理解しがたい論理がまかり通っている。この読売新聞の主張は、もっともな意見と我々と思っている。

 しかし、いくら失敗した先輩が身近にいても、自分自身で同じ過ちを体験しないことには、気がつかないものである。

 十社の地域独占が続いていた電力市場は二年前、販売量の26%を占め
る大口需要家向けの小売りが自由化された。             
 官公庁では電力購入の入札が行われ、電気の価格競争が始まった。危機
感を抱いた電力会社が、規制の残る中規模・小口需要家向けでも数次の値
下げに踏み切るなど効果は着実に表れている。            
 そらー供給義務がはずされ、二酸化炭素の放出量も気にしなくていいなら、一時的な大幅引き下げなど何でもないだろう。規模が格段に大きい既存の電力会社と、小規模な発電所を抱える新規参入者とでは、価格競争のゆとりに大きな格差があるのだから、負けるはずがない。

 ただ、公共事業など、損得度外視した捨て身で入札に参加してくる新規参入者のような事業者が現れたら、それらにも勝てるような競争は絶対に乗ってはならないだろう。

 だが、既存の電力会社が供給区域外の顧客を奪ったケースはなく、新規
参入会社が獲得したシェアも開放された市場の0.4%にすぎない。この
ため、経産省はさらなる自由化を検討している。           
 大口需要家の占有率は26%、そのうち、新規参入者が現時点までに勝ち取った市場が0.4%とすると、日本全体の総電力供給のうち、新規参入者の供給分はわずか0.1%にすぎないのである。

 経済産業省は、「さらなる自由化」を検討しているようだが、あくまでもそれは既存の電力会社に犠牲を強いるものであってはならない。

 たとえば、既存の電力会社が持っている送電線を、新規参入者に格安で解放しろ、といった主張もあるようだが、自社の送電線の使用経費以下で新規参入者に提供するようにでもなると、そこにはもはや公平性は存在しなくなり、自由化の精神は失われることになることを肝に銘じるべきだ。

 最大の争点だった自由化範囲の拡大は電力業界が全面自由化を受け入れ、
決着した。歓迎すべき展開だが、負の側面もつきまとう。電話と同じよう
に、料金体系は複雑になるだろう。離島の住民や使用量の少ない家庭など、
採算性の低い利用者への配慮も忘れてはならない。          
 同一電力会社の管内は、同一の料金体系でやってきたため、離島などの発電、送電コストがかかっても、管内全域の平均コストで提供してきた。

 電力事業の自由化で、値段は競争しなければならないとなると、割高になる地域の供給、つまり儲けの薄い地域にも敢えて供給する事業者はいなくなる可能性も考えられる。

 逆にいえば、採算性の低い利用者へ、損得を度外視してまで供給していたのでは、厳しい競争には勝てないと言うことになる。

            (次につづく)