
■これは同感できるG情報■
社会党といえば、現在の社民党の前身である。その社会党が我が国原子力開発 史の黎明期に「原発推進の旗を振った」というではないか。大変な驚きである。 「3.11」よりもずっと以前から社民党は原発に何が何でも反対だと思ってい た。
「イデオロギーよりもまずは豊かな暮らしを求めて、保革はそろって原子力の 平和利用に希望を託した」とは立派な考えではないか。
「いま思えば奇妙な共闘である。1955年8月、ジュネーブで開かれる国 連主催の『原子力平和利用国際会議』に出席するため、超党派の国会議員4 人が羽田空港を飛び立った。民主党の中曽根康弘(当時37)、自由党の前 田正男(同42)、右派社会党の松前重義(同53)、左派社会党の志村茂 治(同56)。『自主憲法制定』を唱える中曽根と『非武装中立』を掲げる 左社の志村の両極を同席させた立役者は、技術官僚出身で逓信院総裁を務め た右社の松前だった」
我が国において原子力平和利用導入に尽力されたのは、自民党にあっては中曽 根康弘氏であることは広く知られるところであったが、社会党にあっては松前重 義氏であったことはあまり一般には知られていなかったのではないだろうか。
松前先生といえば、東海大学の創設者で、政治家であると共に教育者でもあっ た。その松前先生が社会党の国会議員として、我が国に原子力平和利用に踏み切 る足がかりに奮闘されたことは、我が国の「原子力の父」のお一人であることに 違いない。
では何故そのことがあまり知られていないのか。やはりそれは、その後一貫し て反原発を主張してきたその後の社会党や社民党が、自分たちの大先輩が日本に 原子力平和利用を国策として推進する礎を造った一人と喧伝したくなかったから であろう。