シンポジウム「原子力を考える−−産消交流」(電気新聞主催)
[基調講演]=====================西部 邁氏
<有限な地球資源> 私のような素人でも、資源は有限であることはわかる。石油は百年にも 満たない埋蔵量しかないし、天然ガスもしかり。埋蔵量が多い石炭も、環 境破壊の最大の元凶のように言われている。 つまり、今の文明水準を維持したいのなら、ウラン資源を有効に使わな ければならない。ウラン資源もこの調子で使うと、五十年の埋蔵量しかな いが、プルトニウムを使った発電方式を用いると、この先数千年、発電す ることができる。人類が文明を将来にわたって維持しようとするなら、プ ルトニウムに頼らなければならない。 |
それは、先生がおっしゃって下さっている、プルトニウムの平和利用である。しかし、プルトニウムは核兵器転用がたやすく、その平和利用に限定してもなかなかコンセンサスが得られないのが現状だ。
<プルトニウムの管理> 一方、プルトニウムは強烈な汚染物質を出すが、その管理は、民間に委 ねず官−−強力な組織・軍隊が行うべきであろう。 |
いずれにせよ、「プルトニウムの管理は民間に任せないで、官−−つまり自衛隊のような強力な国家の組織が行うべきだ」というご意見だろう。とするなら、ここだけは、先生のご意見に僭越ながら異議を唱えさせていただきたい。
プルトニウムは、核兵器への転用がやさしいから、プルトニウムを単体で保管しているだけで、世界から疑いの目で見られるくらいだ。ましてや、その物質を自衛隊が管理しているとなると、ますます日本は世界から疑義の目で見られること必定と思われる。原子力は、国内世論はもちろんのこと、世界のコンセンサスを得ることも必要不可欠なのである。
ここはやはり、原子燃料サイクルを速く完結させ、平和利用として常に使っているという姿勢を世界に示すことが肝要だろう。それには、産学官が三位一体になって協力し、健全なエネルギー生産に励むことだと考える。
<住民投票の是非> 最近、原子力に関する判断を住民投票に委ねることが多いが、私は住民 投票しろと言われても、知らないものに対しては投票できない。そもそも、 住民(inhabitant)とは、同じ習慣に入り込む人という意昧。 共同体に長期にわたって責任を持つ人てなければならず、いわゆる「新住 民」という人は「住民」には当てはまらない。 どんな住民投票でも、なかんずく原子力発電立地に関するものは、「投 票」とはいえない。エネルギー問題を含むものは、「日本のエネルギー問 題はどうあるべきか」「原子力発電所はどこに立地すべきか」などの提案 を含んでいてはじめて立派な「投票」と言える。 そういう提案を含んでいなければ、子どもの投票でしかないし、大人が エネルギー問題について論じるなら、自分たちのイメージやプランを含む べきだ。 |
「原発誘致の是非に対する住民投票は、自分の近くに来ることへの拒否反応で一票を投じるなら、それは民主主義における<投票>とはいえない。そこに新たな提案があってはじめて<投票>が成立する」とおっしゃっている。
つまり、自分のことしか考えない投票は「子供の投票」でしかない。大人なら、責任ある意見を論じてしかるべき、と手厳しい主張である。その通りで、「直接民主主義」が廃れ、「間接民主主義」の「代議員制」が今日の民主主義国家の主流をなしていることを考えたなら、当然の考えである。
<日本の将来に思いを巡らし・・・> 自分のことは二の次にして、われわれの子供、孫のことを考えて、日本 のことを考えなければならない。将来にわたってどうしても文明を守りた いとして、日本国家の視点で考えれば、簡単に処方せんが見えてくる。 みなさん、常識を持って、楽しくエネルギー問題を語ろうではありませ んか。 |
「G研」代表