勇気ある「原子力委員会」批判に賞賛して

<その2>


「電気新聞」(2001年8月10日)               
                                 
[時評=ウェーブ]                        
                                 
    神様の居ない神棚                     
                            中村 政雄
                                 
 「さい銭のあがらない神社」と原子力委員会が呼ばれるようになって、
もう何年か経った。いまでは「神様の居ない神棚」といわれている。  
                                 
 原子力委員会がないと、困ることがあるだろうか。20年前、私は当時
の有澤廣巳原子力委員長代理に質問した。              
                                 
 「平和利用の番人ですよ」と有澤さんは答えた。「万一、日本政府が核
武装したいと考えた時、原子力委員会は体を張って阻止する。そのために
原子力委員長は国務大臣が就任する。閣議決定は閣僚全員の一致が必要だ。
原子力委員会が反対すれば、原子力の軍事利用は防げる。役に立つのはそ
れくらいかな」                          
                                 
 それだけでも存在価値はある、と思ってきた。政府の機構改革で、原子
力委員長は国務大臣でなくなった。政府の諮問機関に過ぎない。有澤さん
が答えた唯一の存在価値も消えた。                 
                                 
 委員の資格が不明確。何を基準に選ばれたのかさっぱり分からない。何
となく常識家を寄せ集めればそれでいいのか。            
                                 
 「あの人がそう言われるなら」と誰もが納得するような人が委員なら、
それなりの効用がある。今はそれもない。              
                                 
 役に立たないだけではない。原子力委員会があるために困ることがある。
責任の所在が不明確になることだ。                 
                                 
 日本の原子力開発は失敗続きだが、誰も責任を取ったことがない。原子
力委員会という錦の御旗のかげに隠れて責任の所在があいまいだからであ
る。                               
                                 
 旧科学技術庁も旧通産省も、原子力委員会を風よけにして原子力開発を
やってきた。責任をあいまいにするために原子力委員会が必要だった。 
                                 
 原子力委員会はほぼ5年ごとに、原子力長期利用計画を策定してきた。
策定という言葉が使われるように、長期計画を検討する部会は重々しい雰
囲気の会議だが、実質的な検討はない。その下部の小委員会では実質的な
検討が行われるらしいが、1年以上にわたって議論して決まった長期計画
が、無視されている。存在感が薄れた。               
                                 
 原子力は電力の37%を供給し、国民生活にこれだけ密着していながら、
国民に斜に構えられている。原子燃料サイクルの意義が、なかなか理解さ
れない。                             
                                 
 こうした事態の打開に、原子力委員会は無力だ。新潟県にプルサーマル
の説明には産業経済大臣が行く。原子力委員ではない。決定権もないし、
行政の実施機関ではないから当然かもしれない。           
                                 
 では、原子力委員会とは何か。「神様の居ない神棚」では困る。   
                                 
 原子力委員会には強いリーダーシップが必要だったのに、最近は総合エ
ネルギ−調査会の路線をほぼ踏襲するだけの存在になった。それなら、総
合エネ調が方針を示せばすむ。                   
                                 
 バブル経済が崩壊し、国庫には616兆円もの借金が残った。株は暴落、
金融機関のいくつかが破綻した。貯金をしても金利はゼロに近いが、誰も
責任を取らない。日本経済を崩壊させたという意識がないからだろう。 
                                 
 原子力の世界も似ている。開発に巨費を投入しながら、見るべき成果が
ない。旧動力炉核燃料開発事業団が開発したウラン濃縮技術を民間企業に
移転することすら失敗している。原子力委員会は何をしていたのかと言い
たい。原子力の信用を暴落させた東海村のJCO事故でも、原子力安全委
員会や科学技術庁を含め、責任を取らなかった。           
                                 
 JCOのような事故が起きたせいでもあるが、原子力について積極的に
理解してくれる人は少ない。そのような状態の中で、高い壇の上から安全
性や必要性を説くような態度で推進の旗を振っても、人々はついてこない。
                                 
 今となっては、原子力委員会はムダな存在に思える。役に立っていない
からだ。木元教子原子力委員は「休職」と称して実質的な辞表を提出した。
原子力委員会は無益だと判断したのだろう。             
                                 
 原子力委員会がなくても、自主・民主・公開の原子力開発三原則が消え
るわけではない。日本の原子力開発がこの原則に拘束されることに変わり
はない。                             
                                 
 原子力委員は全員辞表を出してはどうか。             
       「G研」代表