勇気ある「原子力委員会」批判に賞賛して

<その1>


 「原子力委員会」とは、われわれ原子力屋にとって、神様、仏様、天皇・・・、つまり雲の上の人たちである。その雲の上の人を批判することは、今までのわれわれにとってなかなかできなかった。

 批判できなかったということは、批判しなかったということでは決してない。ないが、それは身内内での戯れ言、酒の肴程度では大いに口角泡を飛ばしてやっていた。しかし、どうしても公に向かってはできなかったのである。

 何故か? 原子力委員会の委員に就任する人は、われわれの大先輩がほとんどだったからで、「いずれオレがなれば・・・」と、われわれの仲間の何人かは思っているからである。

 しかし、われわれ原子力屋がトップに登り詰めても、雲の上で胡座をかいている時代ではなくなった。それほど危機感を感じなければならないのだと、この中村氏の「時評」を読んで目が覚めたのである。

 ここには原子力委員会に対する痛烈な批判が述べられており、そのほとんどはわれわれも同感するものであるが、ただ、ではどのような原子力委員会が望ましいか、といった具体的な改革の提案は述べられていない。

 「時評」の最後に「原子力委員は全員辞表を出してはどうか」と提案されているが、これは何とも乱暴な話で、中村氏の本心でもなかろう。

 われわれは、いずれ機会があれば「原子力委員会の改革案」でも考えてみたいと思っているが、まずは、次ページに全文を転載する中村氏の時評「神様の居ない神棚」を読んでいただきたい。

      (次につづく)