「読売新聞」(2001年5月28日)

[解説]==国の政策左右するテーマ

         なじまぬ住民投票

<その2>

 「国のエネルギーの基本計画でも21世紀は原子力発電を基軸に置かざ
るを得ない」(平沼経済産業相)という現状を踏まえ、原発政策は国が主
体となって進めなければ全体の整合性が取れなくなる。この点から言えば、
国の政策を左右するテーマを住民投票にかけるという今回の対応は極めて
問題が多い。住民投票条例成立の背景には、村内の政治的対立があるとも
指摘される。一地域の争いによって、1億2千万を超す国民の暮らしを揺
るがすことは許されない。                    
 このパラグラフでも明らかなように、読売の「解説」は、エネルギーという国の政策について住民投票にかけることの是非について解説しているのが特長だ。

 「一地域の争いによって、1億2千万を超す国民の暮らしを揺るがすことは許されない」という表現は、なかなか過激な表現にも思えるが、読者を引きつけるためにはこれくらいは必要だろう。

 住民投票に込められた「地域のことは地域で決める」という主張が説得
力を持つのは、「反対」の結論を出した場合、それによって生じる不利益
を地域内で引き受けられる時に限られる。住民投票の使い方を誤れば、単
に他の地域に”肩代わり”を求めるために「反対」を意思表示するという
「住民エゴ」に陥りかねない。                  
 これも非常に分かりやすく、説得力がある表現だ。

 そもそも刈羽村は99年3月、新潟県、柏崎市とともに計画受け入れを
表明している。刈羽村の品田宏夫村長自身、昨年末に村議会が可決した住
民投票条例を差し戻して廃案に追い込むなど、一貫して「国のエネルギー
政策に一自治体が住民投票を行うのはなじまない」と主張していた。4月
に再び可決された住民投票条例を差し戻さなかった理由についても「村の
政治の安定を守るため」であり、住民投票がなじまないという考えは「変
わっていない」と説明している。                 
 刈羽村の、特に村長の心の内が良く理解できる。

 住民投票の結果には法的拘束力はない。今回の投票結果を受け、村当局
や政府、電力業界はこれまで以上に住民との対話を重ね、プルサーマルの
安全性と必要性について納得を得る努力を続ける必要がある。    
 このパラグラフは付け足しのようで、具体性に欠ける。「これまで以上に住民との対話を」と示唆しているが、人海戦術で戸別訪問でもせよというのか、はたまた著名なタレントでもつれてきてプルサーマルの安全性や必要性を唱えさせよと言うのか、疑問とするところである。

 我々は、こういっては地元の方々にははなはだ失礼かと思うが、柏崎刈羽原発にプルサーマル計画を持ってきても安全か、また持ってくること自体が日本にとって必要か、と何百編、何千回説いても、理解できるのは小数だろうと思っている。

 刈羽村という地域を差別して言っているのでは決してない。別の日本の、大都市も含め地方へ行けば、原子力問題に接する機会が少ないだけこの傾向はもっと顕著に現れるのではないだろうか。

 「プルトニウムの安全性は、我々が常駐して保証します」と、電力や行政府の幹部が地元に説得するくらいの覚悟は必要だろう。また、その必要性は、その見返りをはっきりと提示しなければならないだろう。

 「村の窮状」、自分たちの「暮らしの窮状」を救うために、プルサーマル計画を引き受けざるを得ない、という認識をさせることに重点を置くべきだろう。

 「お国のため」という認識を、このご時世、日本国民に期待しても無理というものである。

      「G研」代表