「読売新聞」(2001年5月28日)

[社説]==刈羽住民投票

       それでもプルサーマルは必要だ

<その1>

 プルサーマル計画の賛否を問う新潟県刈羽村の住民投票で、実施反対が
過半数を占めた。投票に法的拘束力はないが、日本の原子力政策を危うく
する残念な結果といわざるを得ない。               
 刈羽村の住民投票が行われ、即日開票の結果も出た翌日の社説に「それでもプルサーマルは必要だ」という見出しには、原子力関係者として非常に勇気づけられた。改めて読売の良識に対し高く評価するものである。

 また、最初のパラグラフに「投票に法的拘束力はない」という文言を入れることは、事実その通りだが、住民投票を敢行した刈羽村の関係者や「反対」の票を投じた1533人の村民の方々のことを思うと、少なからず勇気がいったのではなかろうか。

 政府と柏崎刈羽原子力発電所を運営する東京電力は、プルサーマルの必
要性と安全性を繰り返し村民に訴え、理解を求め続けなければなるまい。
 プルサーマルは、日本国にとっては絶対必要だが、はたして刈羽村にとって必要かどうか・・・、おそらく必要はないだろう。それでも地元の住民の方々に必要性を説き、理解を求めなければならないとするなら、非常に辛いところだ。

 一般国民にとって、「プルトニウムは必要か」と問われたら、また「安全か」と問われても、いずれも「ノー」と答えた方が無難と判断するのではないだろうか、と、消極的だろうが考えざるを得ない。

 今回の投票結果はまた、住民投票というものの正当性と限界を、改めて
考えさせる。一地域の住民が、国民全体にかかわる政策を左右するのでは、
国の存立が揺らぐことになりかねない。              
 だから、「住民投票というものの正当性と限界」を我々も考えていた。住民投票が行われるたびに、いや、エネルギー政策に関して国民の理解が重要と言われるたびに、そう考えたように思い出す。

 我々は民主主義を正当化し、それを国是とする国に住むことに誇りすら感じている。だから、あらゆる重要な政策は国民の意見を直接聞くことが、何事にも代え難く重要だとも思っている。

 しかし、日本の国のエネルギー政策を、そこに世界最大の原子力発電所が存在する地域だとしても、その地元の住民の方々だけの意志で左右させていいものではない。

       <次につづく>