朝日新聞(2001年5月19日)

opinion◎news project

   ◆メディア 温暖化問題、多角的報道を

                 桝本 晃章(ますもと・てるあき)
                 東京電力常務

<その2>

 欧州は日米に比べ成熟した社会を形成しており、それを映してエネル 
ギー消費の伸びが低く、CO2排出量の増加も少ない。さらにロシア、 
アフリカ等周辺地域からのパイプライン網を造り上げたことにより天然 
ガスを豊富に利用できる。温暖化対策として石炭などから天然ガスへと 
エネルギ−転換を進めやすい。                   
 つまり、欧州は、京都で決めた目標値の達成についてどこよりも有利 
な状況にある。欧州は日米がC○2排出権取引を活用しようと言えば、 
その量に上限を課そうと言い、CDM(発展途上国への先進国からの技 
術移転による排出権の移行)からは原子力発電を除外しようと主張する。
要は、自らに有利な条件をいかに勝ち取るかが考えられているのだ。  
 ここで、「京都議定書」に盛り込まれた「目標値」について、整理しておこう。

 2008年から2012年までの第一約束期間に平均して、1990年の温室効果ガス放出量の実績値から、日本とカナダは6%、アメリカ7%、EU8%削減すること、ロシアとニュージーランドは1990年レベルの維持でよい、ノルウェー+1%、オーストラリア+8%と、両国は1990年レベルよりそれぞれ1%、8%の増量でもいい、となっている。

 「京都議定書」が採択された1997年12月、そうとうもめにもめて、確か会期も何日間か延長されての採択だったように記憶している。クリスマス、年の瀬も迫っており、ヨーロッパ勢に押し切られての「議定書」だった。とくに「原子力発電所を排除しよう」という主張は、我々も受け入れるわけにはいかない。

 欧州は、膨大なエネルギー消費が支えるアメリカ社会と、その力に対 
して、この問題を使って大きな国際的制約を課そうという意図を持って 
いると思われる。旗印は地球温暖化対策であり、地球益なのである。  
 1997年12月の京都会議の前年、1996年度の温暖化効果ガスの放出量は、1990年レベルの9%も増加していた。それにも関わらず、1990年レベルの6%削減、つまり、1996年レベルを基準にすれば、約12年間で15%削減することを約束したことになる。

 しかし、いくら不可能としても、「地球温暖化対策」や「地球益」「地球のため」といった、いわば水戸光圀の「葵の家紋入り印篭」を突きつけられれば、「ははー」と、日本などは平伏す以外になかったのである。

 ところが、経済、軍事、両面の大国であるアメリカにすれば、「葵の印篭」など恐くはない。独自の「地球温暖化対策」を、真の「地球益」のために考えており、「7月に再開される気候変動枠組み条約の第6回締約国会議(COP6)までに提案する」としている。

 このように見て来るとブッシュ政権の翻意は、こうした欧州主導の状 
況に対する反発と主導権を取り戻そうとする意図に基づくものではない 
かと気付く。                           
 アメリカに次いでいまだ経済大国、日本に対しても、「大きな国際的制約を課そうという意図を持っている」に違いなかろう。この温暖化問題においても、日米がもっと協議して歩調を合わせ、「欧州主導の状況に対する反発と主導権を取り戻そうと」するべきであると考える。

 地球温暖化問題の報道に当たっては、こうした国際政治としての側面 
も伝えてほしい。                         
 その通りで、ことはそう単純ではない。「旗印」や「印篭」が立派でも、政治は駆け引きの産物なのであって、そういった国際政治の側面をも含めて報道してもらいたい。

 日本の川口順子環境相は4月の気候変動に関する非公式閣僚会合に出 
席した。その際の一部報道には、COP6のプロンク議長提案について 
「日本の立場が反映されていない」と申し入れたとあった。大臣が温暖 
化対策に取り組みつつ、国益を踏まえ交渉に臨んでいる状況が理解でき 
る。朝日新聞は事前に大臣の出席を報じたにもかかわらず、会議での大 
臣の言動をカバーしていないのが気になる。             
 「会議での(川口環境)大臣の言動」を朝日は何故報じなかったのか、はなはだ疑問ではあるが、日本は、ヨーロッパと組むよりもアメリカと組むべきであると考える。

 ところで、CO2排出量の制限はエネルギー消費に制約を課すことで 
あり、まかり間違えると計画経済や窮屈な社会につながりかねない。こ 
の問題は前述したように、外交問題であると同時に経済と社会のあり方 
にかかわる問題でもある。                     
 東西冷戦が終結して、イデオロギー的な対立が薄らいだ今日、「環境保全」とか「地球益」といった「旗印」を掲げて、マルクス・レーニン主義を復活させようとしているグループが、「環境派」ではないだろうか、とさえ思えてくる。このことは、我々の単なる妄想に過ぎないと願わずにおれない。

 より多角的な報道を期待している。                
 まったく「同感」である。

       「G研」代表