「日本経済新聞」(2001年4月30日)

[プルサーマル延期]

    エネルギー政策に募る地方の不信

               電力自由化で矛盾噴出

<その1>

 
> 国と電力会社が核燃料サイクルの要(かなめ)と位置付けるプルサーマル
>発電が開始のメドすら立たない。東京電力は福島第一原子力発電所(福島県
>大熊町)で4月に導入を計画していたが、県の承諾を得られず延期した。柏
>崎刈羽原子力発電所(新潟県柏崎市、刈羽村)への導入は刈羽村で5月にそ
>の可否を問う住民投票の実施が決まった。一連の動きは電力自由化と原子力
>推進という矛盾をはらむエネルギー政策への地方の不服申し立てとも言える。
 日本の中央政府と地方自治体、それに産業界が今日抱える問題の概要がうまくまとめられている。ただ、「一連の動きは電力自由化と原子力推進という矛盾をはらむエネルギー政策への地方の不服申し立てとも言える」と書いているが、地方の「不服」は、はたして「電力の自由化」と「原子力推進」のどちらのエネルギー政策に重点がおかれたものなのか、後の記述に期待しよう。

>「一枚岩」に亀裂走る
> 今月25日に福島県庁を訪れた南直哉・東電社長に佐藤栄佐久知事は「信
>頼の糸は切れた。国や東電がくしゃみをすると私たちは風邪をひき死んでし
>まう」と不満をぶちまけた。
> 引き金は東電が2月上旬に経営効率化のため打ち出した新規発電所建設の
>凍結方針。同県内の火力発を凍結対象に含めたことが県を刺激。東電は凍結
>を撤回したものの関係は改善していない。「東電の配慮不足と県側の地域エ
>ゴとのもつれ」という旧来の図式とも見て取れるが、根はもう少し深い。凍
>結宣言の背景に電力自由化という大きな政策のうねりがあるからだ。
 
 「国や電力のくしゃみ」はどういうものかは別として、電源立地県がいつまでも発電所の建設計画に左右されているのも情けない。地域開発と電源開発は共存共栄させていかなければならないことは当然だが、あくまでも地域の開発計画が先行していなければならないと考える。

 自分たちの町を将来こうしたい、その実現のために資金が必要であり、よって発電所を誘致したい・・・という呼びかけが地方から起こって発電所建設プロジェクトがスタートする。いまやこういう時代になったのであることを地方自治体の長は認識するべきである。

 供給区域が守られ、需要の伸びも常に右肩上がりの時代なら、電源開発に重点をおいた経営努力をしていれば、たとえ「供給責任」という足枷を履かされていても、立地予定の地元に三顧の礼を尽くしてお願いしていれば良かったのだ。しかし、その古き良き時代は終わったのである。

 国は、世界の趨勢とかで、電力に経営の効率化を求めた自由化をすすめる一方、供給責任という規制は取り払われたのである。高品質の電力を安定して供給するという、かつての公益法人としての電力業界に課せられていた足枷は、道義的責任を業界に期待するだけで、法的責任は取り払われたのである。

> 電力の長期安定供給のため、国と電力会社は官民一体で原子力を推進して
>きた。最近は地球温暖化防止の立場からも国は原発増設策を掲げている。
> しかし電力自由化は「一枚岩」の関係に亀裂を生んだ。自由化で効率経営
>を求められる電力会社にとり、新規立地に約4千億円もかかる原発投資は重
>荷。思い通り建設が進まない不確実性や事故リスクなど市場経済に徹する経
>営とは相いれがたい要因もある。
 国の行政府は、電力会社に大海に出て自由に泳ぐことを進め、それを大多数の消費者も望んだのですから、国と電力会社の蜜月時代は終わったのである。だから、「官民一体で原子力を推進」は望むべきもない。国が、地球温暖化防止の立場から原発増設をしたいなら、地元了解から立地の確保まで、国の責任で行い、建設と運転管理を入札でもして希望する電力会社を指名する方式でもしない限り、電力自由化での原子力推進は難しいだろう。

          (次につづく)