◆利用の道開いた中曽根康弘氏の話
「原爆の犠牲者に 善用でこたえる」
訪米中にアイゼンハワー大統領が原子力政策を大転換したと聞き、原子力
という大きなエネルギーをつかんで立ち上がらねばならない、石油のない日
本は必ず採り入れなければいけないと確信した。
学術会議では推進派が反対にあっていたから、政治家が力で破るほかない。
そこで衆議院での予算案採決直前にウラン235にちなんだ原子炉建設予算
2億3500万円を加える修正案を出した。原爆を作るつもりかと批判を浴
びたが覚悟の上だった。
55年、国連の第1回原子力平和利用国際会議がジュネーブで開かれ、私
たち国会議員4人も参加した。その後、英仏米の原子力の実情を調べた。夜
はホテルで、日本でどのような体系にするか議論した。その議論がもとにな
り、今の法体系ができた。原子力基本法で平和利用に徹することを明確にす
ることで国民が安心した。
平和利用の考えはその後の宇宙開発にも生かされ、科学技術研究前進の一
つの標準型を作った。先端科学の場合には未知の分野を進んでいくものだか
ら、国民が不安感を持つ。よほど注意して安全性を確保するのが重要だ。原
子力はその典型だと思う。
広島、長崎の原爆は私たちのような戦争世代にはこたえた。あの巨大なエ
ネルギーを善用して、原爆犠牲者にこたえなければいけない。その意味で、
平和利用に徹した日本の政策は半世紀たった今も生き続けている。
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