朝日新聞(2007年7月16日)


<科学>

     50年前、「原子の火」ともる

             40センチの炉、産業の礎に

(その4)

 <本文転載>



 

◆利用の道開いた中曽根康弘氏の話

                                   

「原爆の犠牲者に 善用でこたえる」

                                                訪米中にアイゼンハワー大統領が原子力政策を大転換したと聞き、原子力  という大きなエネルギーをつかんで立ち上がらねばならない、石油のない日  本は必ず採り入れなければいけないと確信した。                                                   学術会議では推進派が反対にあっていたから、政治家が力で破るほかない。 そこで衆議院での予算案採決直前にウラン235にちなんだ原子炉建設予算  2億3500万円を加える修正案を出した。原爆を作るつもりかと批判を浴  びたが覚悟の上だった。                                                              55年、国連の第1回原子力平和利用国際会議がジュネーブで開かれ、私  たち国会議員4人も参加した。その後、英仏米の原子力の実情を調べた。夜  はホテルで、日本でどのような体系にするか議論した。その議論がもとにな  り、今の法体系ができた。原子力基本法で平和利用に徹することを明確にす  ることで国民が安心した。                                                             平和利用の考えはその後の宇宙開発にも生かされ、科学技術研究前進の一  つの標準型を作った。先端科学の場合には未知の分野を進んでいくものだか  ら、国民が不安感を持つ。よほど注意して安全性を確保するのが重要だ。原  子力はその典型だと思う。                                                             広島、長崎の原爆は私たちのような戦争世代にはこたえた。あの巨大なエ  ネルギーを善用して、原爆犠牲者にこたえなければいけない。その意味で、  平和利用に徹した日本の政策は半世紀たった今も生き続けている。