> 電源構成、電力供給源の整備・拡充のあり方は、大気環境の保全と供給安 >定性に配慮しつつ、長期的な視野で検討されるべき課題である。新規の原発の発注がなくとも電力の供給不足になることはまずないだろうが、地球温暖化に関係するCO2を放出する火力発電が増えたり、中東の不安定な石油に依存するような電源構成にしてはならない、という事をおっしゃっているのだ。まさしく、グローバル(全地球的)でロングレーンジ(長期的)に捉えなければならないとする、エネルギー問題を考える上での基本原則を指摘されているのである。
> 電力市場の自由化は、電源構成や設備投資の意思決定を、個別企業に、そ >して市場にゆだねることを意味する。市場の視野は総じて短期的で、環境汚 >染への適正な配慮を欠く。短期的な不確実性を加味しつつ、費用の最小化を >図るのが市場の本性なのだから、巨額の初期投資を要し、立地地点の選定に >膨大な手間暇を要し、社会的受け入れのおぼつかない原発を、市場が選択す >る可能性は乏しい。電源構成や設備投資の意志決定、つまり国のエネルギー政策の意思決定を市場にゆだねていたのでは、原発が選ばれる可能性は低いのは当たり前、ということである。原発の賛否を住民投票で決めようなどとは、以ての外、と先生は主張されているのだ。「自由化」という一見民主主義の原則に則った制度にかこつけて、エネルギー政策の意思決定を市場などに任せておけば、将来に渡って禍根を残すことになる。
> しかも、費用削減と安全性確保がトレードオフ(二律背反的)関係にある >とするならば、市場競争の激化は、発電事業者にコスト削減を強い、結果と >して安全性を犠牲に供しかねない。これはゆゆしき問題だが、これに気がついている報道関係者や一般の国民は少ないのではないか。非常に重要な点を示唆されているのである。
> そこで問われなければならないのは、次の二つの設問である。一つは、長 >期的な(30年から40年の)視野のもとで、原発は「絶対」に必要なのか >否か。もう一つは、今後数十年間、原発の新増設がなくても、原子力技術は >維持されるのか否か。 > 前者の設問への答えが「イエス」、後者へのそれが「ノー」であるとする >ならば、電力供給を市場に任せ放しにしたままでは済まなくなる。長期的な >視野のもとに、原発の研究開発、立地、建設を担う何らかの公的主体が必要 >となってくる。これは、原子力行政や産業界への警告である。短期的には新たな原発がなくとも何とか供給はやっていけようが、長期的に見た場合、資源の少ない日本にとっては特に原発は必要である。ただ、今後数十年も原発の新増設がないと、原子力技術の維持は極めて難しくなり、特に技術者の確保育成がますます難しくなることは言うまでもない。
> 第一の設問に一義的な答えを与えることは容易でない。化石燃料枯渇の見 >通し、省電力、原発に替わる大規模電源の登場の可能性等々、数多くの「不 >確実性」をはらむからだ。第二の設問については、安全確保、バックエンド >対策、廃炉処分、中国等への技術支援のために、原子力技術の維持は是非と >も必要なことを申し添えておこう。原発の新増設の是非について、簡単に答を出すのではなく、あらゆる角度から検討し、できるだけ「不確実性」を薄めながら答を導き出す努力が必要と示唆されている。有り難いお教えである。肝に銘じたい。
> 21世紀の電力供給のあり方について有意味な合意を形成するためには、 >電力の産業組織、電力自由化、政府の役割のあり方について、入念かつ迅速 >な検討が求められている。わが国の電力供給システムについて国民の多くからコンセンサスを得るためには、電力業界の産業組織・形態、電力の自由化制度、そして経済産業省などエネルギー関連行政府の役割等に至るまで、徹底的に見直す必要がある。ただ、その作業には、あまり時間的余裕はない、と・・・。
非常に的を射たご指摘である。エネルギー関係者は元より、国民一人一人が自分たちの問題として、このエネルギー問題、電源問題、原子力問題を考える上において、この佐和先生のお教えをまず考えてもらいたい。
「G研」代表