朝日新聞(2006年7月4日)
<天声人語>
(その2)
<本文転載>
ワルシャワで、キュリー夫人の生家跡に行ったのは厳冬期の2月だった。 雪道の先にある「キュリー夫人博物館」を巡りながら、物理学、化学と二 つのノーベル賞を受けた人の幼い日の姿を思い描いた。 ▼成人してパリの大学に学んだが、極貧状態だった。娘エーヴの『キュリ ー天人伝』 (白水社・河野万里子訳)に、こんな一節がある。「七階の 屋根裏部屋が凍りつくこともあった・・・石炭の蓄えは、すでに尽きてい る。だが、これぐらい、なんだというのだ。ワルシャワから来た娘が、パ リの冬ごときに負けてたまるか」 ▼重ね着してベッドに入り〔毛布の上にも服を重ね、その上にいすまで置 いたという。苦学力行の末にラジウムの分離に成功し、科学の新しい世界 を開いた。 ▼ラジウムの製法で特許を取る通があると知らされた時、情報を独占して おくのは「科学の精神に反する」と断った。私利よりも公を優先する思い がしのばれる。 ▼年々膨大な研究費を計上する現代日本では、公的研究費の不正流用が繰 り返し発覚している。早大理工学術院の松本和子教授は900万円を教授 名義の投資信託口座で運用していたという。 ▼「科学には、おおいなる美がある・・・実験室にいる科学者は、単なる 技術者ではありません。まるでおとぎ話を聞いたときのように胸を打たれ て、自然現象の前で目を輝かせている子どもでもあるのです」。このキュ リー夫人の言は、おおいなる美に至るには純な心が要る、とも聞こえる。 白血病のため66歳で逝ったのは、1934年の7月4日のことだった。 |