日本経済新聞(2000年3月5日)

 [エネルギー問題]>政界様変わり

  「石油」より「環境」に関心  危機管理の意識希薄に

 まずは「前文」を転載しておこう。

> 2月末に決裂したサウジアラビア政府とアラビア石油の権益延長交渉
>の過程は、日本政界のエネルギー問題への意識の変化を映し出した。
>1970年代の二度にわたる石油危機を契機に強化してきた中東との人
>脈、原油の自主開発政策へのこだわりは「政治」にはなく、あっさりと
>アラ石の権益失効を認めた。原子力発電の制約が強まる中、政界では環
>境問題も絡んで「自然エネルギー」への関心も高まっている。ただ、長
>期的なエネルギー戦略や、石油問題の危機管理をどうすべきかとの議論
>は、政治の場から聞こえてこない。
 上の「前文」を平易に表現すると次のようになろうか。

 「アラビア石油がサウジアラビアと交渉してきたカフジ油田の採掘権の延長は実らず、2月末で切れてしまった。このような重要な外交交渉にも関わらず、通産大臣が一度サウジを訪れて交渉したが、向こうの主張が厳しいとなるとあっさり引き上げてしまったことでも明らかなように、日本政府のエネルギー問題に対する意識が大きく変わってしまったようだ。

 「1970年代の2度にわたるオイルショックの時は、中東を訪れる政治家は後を絶たず、人脈つくりに精を出し、新規油田の開発にも日本が積極的に関わることに大いに賛同していた政界だが、今回の権益延長交渉ではあっさりと断念してしまったのは何故か?」

 「温室効果ガスの排出削減など環境問題が浮上するが、その炭酸ガスを出さない原子力発電は世論の制約が強く、石油に替わるエネルギーとしてあまり期待できないのではないかと考えているのだろう。石油もダメ、原子力もダメとなると、太陽光や風力といった「自然エネルギー」に、どうも政界は関心を高めているようだ。しかし、長期的な日本のエネルギー戦略をどうするか、石油の確保が難しくなったとき、日本はどうするか、といった、エネルギー問題の本質をついた議論は、政治の場で展開された形跡が見られない。」

 まったくそのとおりで、エネルギー問題こそ国政の場でしっかり議論してもらいたいものである。

 「本文」の中でアンダーラインに値するフレーズを転載しておこう。

> 第一次石油危機がぼっ発した73年、当時の田中首相は親アラブの外
>交政策に転換。政官財が一体となって石油の供給確保に走り回るととも
>に、日本企業が採掘と操業を手掛ける自主開発の推進を申し合わせた。
 こういう当時の努力もいまや影を潜めている。

> 石油の自主開発路線に代わって政界で台頭しているのが、風力や太陽
>光などをエネルギー源として活用する「自然エネルギー」派だ。昨年
>11月には超党派の「自然エネルギー促進議員連盟」(愛知和男会長)
>が発足し、法案づくりを進めている。法案のたたき台をつくったのは各
>党議員とともに非営利組織(NPO)などの民間団体である。与党の一
>角を占める公明党は自然エネルギー推進を政策の柱の一つに掲げる。エ
>ネルギー問題を巡る政界の構図は変わりつつある。
 お手並み拝見といきたいところだが、そんな暢気なことはいっておれないのが現実だ。

> しかし、自然エネルギーが石油火力や原子力火力を代替できる可能性
>は不確かなうえに、時間もかかる。「最悪の事態を想定し、これに備え
>る」のが危機管理の鉄則とすれば、いまの日本政界は70年代の石油危
>機を忘れ「エネルギー問題は何とかなる」との楽観論が支配している。
 この「楽観論の支配」こそ我々が一番恐れていることである。「自然エネルギーが石油火力や原子力火力を代替できる可能性は不確かなうえに、時間もかかる」という考えこそ正しい。特に政治家はこのフレーズを反芻しながらエネルギー問題を真剣に議論してもらいたい。

>クウェートとの交渉の見通しも現状では極めて暗い。エネルギー問題で
>も政界の「危機管理」の意識は欠如している。
 という最後の文章は、非常に重く受けとめなければならない。なぜならこれが日本の政治家をはじめ日本人全体のエネルギー問題に対する認識だからである。何とか正しく理解してもらいたいと思っている。

      「G研」代表