[一段目最後から二段目にかけて] > 地域住民の意思を直接問う場合は、その課題の解決が自治体内で完結する >範囲内でなければならない。原子力発電所や基地のように国の基本政策にか >かわる問題や、他の自治体にも関係する広域的な問題は、住民投票にふさわ >しくない。そうでしょう。「原子力問題は国の基本政策に関わる問題だから、住民投票には相応しくない」と、読売新聞ははっきりと主張しています。これが正しいと私どもも確信しています。
[二段目] > 今回は吉野川流域の環境と防災にかかわるだけに、徳島市だけの意向で左 >右できないものであった。にもかかわらず徳島市民の反対意識が高まり、全 >国ではこの五年間に十例目の住民投票となった。この五年間で10例も住民投票が行われたというのは、やはり異常でしょう。政治不信にもつながっていると思います。「代議員はたしかに我々が選んだ人たちに違いないが、すべての案件の決定権を代議員に預けるということではない」といった主張が、住民投票容認派から聞かれますが、それはまさしく「政治不信」そのものなのです。
[2段目] > しかし、何でも住民投票にゆだねる傾向は、必ずしも好ましいことではな >い。「必ずしも好ましくない」ではなく、「まったく好ましくない」といった表現が適していると思われます。
[2段目] > 議会制民主主義の下で地域住民にかかわる問題は、本来、首長や議会が住 >民の意思を十分くみ取り、実のある論議を積み重ねるべきだ。有権者の半数 >近い今回の反対はその努力不足の現れとも言える。 まったくその通りだと思います。原子力問題でも、地元の住民の方々への説明などは電力会社などに任せ、首長や議会の議員が説明に出かけ、住民の方々の素朴な疑問や不安を汲み上げるという、本来の役割責任を果たしていないため、住民の原子力行政への不信感も募っていると思われます。
[3段目] > 反対派は十万を超える署名を集めて住民投票を実現させ、推進派は三十二 >市町村から三十万を超す署名薄を提出している。 > 住民の意思がどちらにあるか、判定が困難な現状を見れば、建設省が住民 >に十分な説明責任を果たし、住民の理解を得ているとは、到底、言い難い。反対派10万の署名に対し、賛成派30万なら、単純計算すると賛成派が4分の3も占めていますから、賛成派が断然有利と思われますが、何故か読売は「住民の意思がどちらにあるか、判定が困難な現状」と表現していますね。
[4段目] > 十四回の審議会と三回の公聴会を開いたものの、従来的な政策決定システ >ムが信頼できないとして住民は反発してきた。 > 過去の手法への不信感が住民を反対にかりたてたといえる。 > 吉野川の可動堰は、河川法改正以前の計画だが、透明性を高め、改めて住 >民の理解を得るための説明責任を果たすべきだ。有識者などといった専門家で構成された審議会の審議が14回も開かれ、しかも地元への公聴会が3回も開かれたがそれでも十分でないという「過去の手法」の何処が問題で、「住民の理解を得るための果たすべき説明責任」とは何か?具体的なご提案をいただきたいものです。
この読売の「社説」のほとんどは「同感」できるのですが、最後の部分には「同感」しかねます。つまり、「十二分に説明を尽くせ」といわれましても、時間的にも制約があるはずです。住民の4分の3の理解では不足で、「せいぜい90%が理解してくれなくては進めてはならない」では、あまりにも理不尽な要求と思われます。
言論の自由は守らなければなりません。さりとてどの主張も責任ある言論に基づくものとは限りません。たしかに最後の一人まで説得できれば理想ですが、いくら民主主義は堅持しなければならないと申しましても、時間と労力の浪費はくい止めなければなりません。
「G研」代表