> 全米専門技術者協会の倫理規定は、技術者の基本的義務の第一に、公衆の
>安全・健康・福祉を保護することをあげている。また、雇用者や顧客に対す
>る義務もあげて、それぞれ細かく規定している。
 規定があるから守らなければならない、というのではまだプロに徹していないのではなかろうか。「公衆の安全・健康・福祉を保護する」という大前提を肝に銘じてさえいれば、詳細な規定は不要ではないだろうか。

> 日本では、普遍的な倫理規範が守られることを前提に、このような規定は
>設けられなかった。米国は倫理に限らず、あらゆることに詳細な規則や手順
>書(マニュアル)が必要とされる社会である。日本では規則や手順書にはあ
>まり重きを置かない。
 倫理規範や規定は、価値観が違っているかも知れない多民族国家のアメリカなどでは必要であったが、単一民族の日本では必要なかったのであろう。しかし、そういうことはいっておれない時代が来たのかも知れない。

> 例えば米国の工場の工程管理や品質管理は、膨大なマニュアルに基づいて
>行われる。日本のマニュアルの何倍もあるのには驚かされる。日本ではマニ
>ュアルよりは現場の改善活動に重点が置かれる。結果は日本の方がはるかに
>うまくやってきた。安全管理も同様で、集団安全活動が優れた成果を上げ世
>界に冠たる安全率を達成してきた。工学倫理についても、米国では立派な教
>科書が整備されているが日本には教科書もない。
 アメリカの工場などでは、ブルーカラーとホワイトカラー、つまり「テクニッシャンとエンジニア」が完全に役割分担されているから、その間のコミュニケーションはマニュアルのみということになる。日本の場合は、明確な役割分担はなく、常に現場からのフィードバックも行われている工場形態では、そう必要としなかったのであろうと考えられる。ただこれからはそうはいかず、詳細なマニュアルも、「工学倫理」の立派な教科書も整備しなければならないだろう。

> これですべてうまく行けばそれに越したことはない。しかし、企業・雇用
>者に対する帰属意識が極めて強い日本では、公衆に対する義務より、企業・
>雇用者に対する義務が優先されやすい。ただし、倫理観の問題は、技術者だ
>けに限られるものではない。政界・官界・財界をはじめ世の中全般に見られ
>る風潮が技術者の世界にも反映しないはずはないからだ。
 「公衆に対する義務より、企業・雇用者に対する義務が優先される」ことはないだろうが、そうみられてもおかしくないという土壌は、高度成長期の日本企業にはあったように思う。これは、やはりあってはならない事象だろう。そう、倫理観の問題は「政界・官界・財界をはじめ世の中全般」にあるから、諸姉諸兄も再認識してもらいたい。

> 現在の世の中は、高度な技術の恩恵を享受する一方で、強い技術不信に陥
>っている。今回の臨界事故もこの技術不信を著しく助長することになった。
>技術者の責任は重大である。しかし、日本の技術全般は、極めて高い安全成
>績を達成してきたことも正当に評価し、冷静に対応することが望まれる。
 何も追加して申し上げることはない。沈思黙考し、首を縦に大きく振るだけである。それでもあえて申し上げると、科学や技術が信じられなくとも、短絡的に新興宗教に走ることだけは止めてもらいたい。科学者や技術者の言動に多少疑問を呈していただいても、それは致し方ないことだ。

> 21世紀においても技術の重要性は変わらない。若者たちが誇りをもって
>技術者を目指すように仕向けねばならない。世間の倫理レベルが上がるのを
>待っていても仕方がない。少なくとも上級技術者を目指す理系大学院生に対
>しては、たとえ数時間でも工学倫理教育を行うことが望ましい。何よりも、
>学生たちに「技術者は社会に対し特別の責任を負う職業である」という専門
>家意識を持たせることが肝要である。
 またまた、黙って首を縦に振って頷くだけだ。
> 私の授業では、このような話や私自身の経験談に加え、安全管理や環境問
>題から接待ゴルフまで広範な事例を設定して、その問題にどう対処すべきか、
>学生同士にも議論させている。まだ試行錯誤の段階であるが、若者たちは熱
>心に受講し、もっと話を聞きたいと言ってくれる。
 先生の講義が社会人にも門戸が開かれることを願わずにいられない。
> 技術者に対する信頼は、技術が高度化し、大衆に理解し難くなるほど重要
>になる。そのことを技術者は今一度、胸に刻まなければならない。

 深く頭を垂れて反省しきりである。

      「G研」代表