中村 収三(大阪大学教授・比較技術工業論)
出典:朝日新聞(1999年12月30日)
朝日新聞の原子力問題に対する報道や社説は非常に厳しいものがあると、常々「異議あり」と唱えてきたが、有識者などが投稿されて取り上げられる「論壇」には同調できるものが多々ある。ただ、これらが年の瀬も押し詰まったころに集中しているのは何か意味があるのだろうか。
前回この「同感」に取り上げた山内先生のご意見が掲載されたのは12月31日で、今回取り上げようとしている中村先生のは12月30日であった。危機一髪、古紙回収に出すところを拾い上げたもので、貴重なお教えを見落とすところであった。
さて、比較技術工業論がご専門で、大阪大学教授の中村収三先生が投稿された「工学倫理教育のすすめ」と題するご意見は、12月30日付け朝日新聞の「論壇」に掲載されていた。
先生が投稿されるきっかけは、本文の最初に触れておられるから明白だ。
> 茨城県東海村の核燃料加工施設の臨界事故で被ばくした大内久さんが今月 >21日に亡くなった。この事故は原子力に限らず他の分野の技術者たちにも >大きな衝撃を与えた。よって、ご意見はわれわれ原子力関係者が一番拝聴しなければならないのだが、他の分野の技術者も十分拝聴に値するご意見と考え、ここに取り上げさせていただくことにした。
> あらゆる近代技術は、危険なものを安全に利用する知恵だと言い換えても >よい。それゆえ、技術者には専門的な能力に加え、高い倫理性が要求される。 >だが、日本の大学では、技術者のための倫理教育といったものはほとんど行 >われてこなかった。たしかに「技術者のための倫理教育」なるものは教わらなかったし、敗戦直後から学校に上がったわれわれのほとんどは、日教組に所属の先生方に教えられており、倫理教育はおろか道徳教育すら受けてこなかったように思う。だからといって、戦前のわが国の歪められた「修身」のようなものでも困るが、きちんとした「倫理教育」は、技術者に止まらず、人間はすべて受けなければならないだろう。しかし、今日の日本の教育界にこの難解な「倫理教育」なるものを授けられる先生方ははたして何人いらっしゃるのか、疑問は残るのだが・・・。
> 私は日米の企業で技術者として三十余年勤めた後、今は、比較技術工業論 >の講義のほかに、大学院で年に数時間だけだが「工学倫理」と題する授業を >もっている。その立場から発言したい。中村先生の教え子の中から「工学倫理」を受け持てる教育者が多数育っていくことを願わずにいられない。
> 工学倫理という概念は、日本では取り立てて意識されてこなかった。米国 >では全米専門技術者協会をはじめとして各技術者協会が厳格な倫理規定を設 >けている。専門技術者の「専門」は英語のprofessionalの訳だ >が、professionには聖職といったニュアンスがある。日本でも医 >師や弁護士などは聖職とみなされ、弁護士会や医師会は倫理規定を設けてい >る。しかし工学技術者は一般に聖職とはとらえられていないし、各種の技術 >者の会も倫理規定は設けていない。「プロフェッショナル・エンジニア」なる制度があることは知っていました。ただこれが「聖職」とまで崇められると、それに見合った収入も、弁護士や医者並みに保証されなければならないだろう。「プロ」に徹するという姿勢はエンジニアに限らず重要だろう。
> 日本の技術者の優秀性は内外ともに認めるところだが、こういった意味で >の職業意識は希薄である。職業を問われれば会社員や公務員と答え、技術者 >とは答えないのが一般的である。あまり意識したことがなかったが、言い得て妙ではなかろうか。