電気新聞(2004年2月6日)

<時評=ウェーブ>−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−>石川 迪夫

          ===[牛 丼]===

(その1)


 ”How safe is safe enough?”「安全性をいくら高めれば十分なのか?」

 原子力の安全性を巡って議論された際に出てきた有名な言葉である。この質問に対する答えともなりうるのではないかと思える言葉がある。

 「国民の大多数が<安心>できてはじめて<安全>といえる」

 原子力の開発に反対する人たちから出された言葉にとどまらず、日本の規制当局からもしばしば出される主張だから驚きだ。

 安全規制を過度に強化して国民を安心させるのではなく、安全性は科学的に証明される根拠に基づいて規制し、国民から信頼される規制当局が説明責任を果たして安心させるのが本来の姿ではなかろうか。

 日本政府の間違った安全規制に関する基本姿勢について、われわれの大先輩である石川氏が、最近の「牛丼騒動」を例に指摘している。

 「農水省は輸入再開条件として肉牛の全頭検査を要求しているが、米国は安全上そこまでの必要はないと言い・・・」

 肉牛を食するうえでの安全性を判断するには、日本政府は「全頭検査」が不可欠と主張し、アメリカ政府は「抜き打ち検査」で十分としている。日本政府の主張には科学的な根拠に基づいているのではなく、日本国民を「安心」させるための安全規制なのである。

 石川氏は、科学的根拠のない全頭検査を要求する日本政府の矛盾点を挙げている。

 「鶏インフルエンザは広くアジア全域を覆い、感染による死者も出ている。日本政府は、何故危険地域を、山口県の発病地30キロ圏内に限るのだろうか。翻って狂牛病に対し発症地ワシントン州に絞らず、広く米国全体の牛を対象とするのだろうか。政府の対策に一貫性がない。それは対策が、安全対策にあるのではなく、安心対策であるからだ」

 また、石川氏は、「安心」を重視した過度な安全規制は国民の不利益につながるとも指摘している。

 「過剰な規制、根拠薄弱な規制は国民の負担となり、廻り廻って安全の無視に繋がるからだ」、と。

 石川氏が引用している吉野家の阿部社長の考えは非常に重要だ。

 「阿部社長は今回の政府の措置を、安全と安心を混同していると批判する。安全は科学だから明確に基準を設け運用管理できるが、安心は消費者一人一人の心理問題、基準の設けようがないと」

(次ページにつづく)