◆バーセベック1号機閉鎖までの経緯
[1980年]国民投票が原子力開発は12基を越えないこと(当時は6基)、原子力発電所の寿命が来た段階で原子炉の運転を廃止すること等を支持。これを受け、議会は全ての炉は2010年までに閉鎖することを決定。
(国民投票後の経緯)
[1988年]チェルノブイリ事故(1986)を契機として、与党(社会民主労働党(以下社民党))が国会において段階的廃止プログラム(95年及び96年に1基ずつ廃止)の開始を決定。
[1991年]与野党(社民、自由、中央党)がこの案を破棄することに合意し、国会においても新エネルギー投資、電力市場の効率化といった条件とともに承認。(社民党は91年9月総選挙で敗北、保守4党は連立政権を樹立するが、94年9月総選挙で社民党が勝利、政権に返り咲く)
[1995年]政府はエネルギー特別委員会を設置(1994)し、同委員会は、2010年以降も原子力発電は継続すべきこと、最終的な全廃期限は定めず、1998年までに1基を閉鎖することを提案。
[1997年]少数与党社会民主党から脱原子力政策を発表(2月)。
[1997年]安全性の問題がなくとも政府は所有者に対して原子力発電所の閉鎖を命ずることができる「原子力発電閉鎖法」が成立(12月)。
◆少数与党社会民主党による脱原子力政策(1997年2月)
しかし、少数与党の社会民主党が政権維持のため、反原子力政策を掲げる二党(中央党、左翼党)の政権運営への協力を取り付けるため、政治的決着として、「原子力発電閉鎖法」案を採用した。そして、1998年2月、バーセベック1号機の運転許可を98年6月末をもって取り消すことを正式に決定した。
1998年9月選挙の結果で、改選前与党の社会民主党が大幅に議席を減らしながらも、緑の党、左翼党と連立して政権を維持。今回の連立相手も反原子力を掲げているため、脱原子力政策は継続された。
こういった政府の姿勢に対し、バーセベック原発の所有者である私営電力シドクラフト社は、国内最高行政裁判所やEU裁判所などへ政府決定の違法性を主張して提訴し、司法判決に一縷の望みを託したが、ことごとく退けられた。
閉鎖直前の数カ月も、シドクラフト社は、あらゆる法廷闘争を展開している。
10月 6日 シドクラフト社は欧州委員会による裁定が下されるまでの間、 バーセベック1号機閉鎖の差し止めをストックホルム市裁判 所に提訴。 10月18日 シドクラフト社は、最高行政裁に閉鎖決定の再審理を求める 異例の要請を行う。 10月21日 政府は欧州委員会からの要請に対し、「最高行政裁の審査は 国内法、EU法上の争点すべてについて実施されており、閉 鎖決定を差止める必要は無い」との回答文を送付。 10月27日 発電所早期閉鎖に伴う政府とシドクラフト社の補償交渉再開。 11月 ストックホルム市裁判所(12日)、最高行政裁判所(19 日)は、6月の最高行政裁判決は有効であるとの判決を下す。 11月29日 最高裁判所はEU裁判所の裁決を待たずに当該炉の閉鎖を執 行する判決を是認。 11月30日 13時から政府、シドクラフト社、バッテンフォール社の代 表によりプレス発表。14時から出力低下を開始し、同日中 に停止。 ◆閉鎖を巡る国内外の反応 ・シドクラフト社のフリシオフ社長 「同発電所の(24年の)歴史で、外部環境に影響を与えるような危険な 事象は一切なく、後16年(2015年まで)は運転可能であった」 ・最近の世論調査 スウェーデン国民の大多数が原子炉の寿命を40年とすることに賛成する との結果も出ていた。 ・産業大臣 「国内の供給力は十分な余剰があり、同発電所の発電量(約40億kWh /年)が欠落しても、電力輸入を増加させる必要はないだろう」 ・ノルディック・エナジー・アナリシス(NENA)などの専門家 「厳冬時期のピーク対応としてノルド・プールなどから、主にデンマーク の石炭火力からの輸入に頼らざるを得ず、それに伴い、スウェーデン国内の 電力価格の上昇と京都議定書に伴うデンマークの排出削減目標(2010年 に1990年比21%減)に悪影響が生じる可能性がある」 ・ウェスベリ・スウェーデン産業連盟副理事長 「政府が私営のシドクラフト社に原子力発電所を閉鎖させた一方で、国営 のバッテンフォール社が原子力発電所を保有する他国の電力会社(ドイツ・ ハンブルグ電力−ドイツ国内に原子力4基を共同所有)を買収するのは馬鹿 げている」「G研」代表
