[朝日新聞<夕刊>1999年12月11日]
>国民投票で原発の段階的廃止を掲げてから約20年。産業界の反対を押し切
>ってようやく踏み出した第一歩だが、国民からの評価は芳しくない。
「芳しい」はずはない。この「どぶに捨てた」資産のツケは国民にまわされるのだから・・・。
>米国スリーマイル原発事故で高まった安全性への不安は薄らぎ、国民の間に
>は、使える限り既存の原発を利用していこうという考えが広まっている。
不安が薄らいだわけではないだろうが、「使える限り既存の原発を利用していこう」という考えは当然だ。
> 地元自治体のひとつ、人口約2万5千人のシェブリンゲの原発住民安全委
>員会メンバーの一人、スタファン・ウッデバールさんは「みんな閉鎖に反対
>だ。原発関連の仕事をしている人が住民の半数以上いるのだから」と話す。
よくもこういう地元の方で、原子力に好意的な方のコメントを紹介してくれたものだ。日本の原発で何かが起こっても、推進派のコメントなどついぞ採用してくれたことがない。
> だが今回の原発閉鎖に対しては、地元ばかりでなく、スウェーデン国民の
>大多数も賛成していない。
そもそも、1980年3月23日に行われた国民投票で国民に問われた選択肢は3つあったが、そのどれも25年以内に順次閉鎖するというものだった。つまり、原子力産業界も含め、当時のスウェーデン国民のほとんどは、省エネに努力し、再生可能エネルギーの開発にも精力的に取り組み、原子力発電所は、当時の稼働中の6基と、建設中の6基、合計12基は25年後を目標に順次フェイズアウト、つまり閉鎖しようというものだった。だから、この12基以外、新規に原発の建設も続けるという選択は、いくらそれを望んでもなかったのである。
> チェルノブイリ原発事故で脱原発の空気が強まったが、一方、これを機に
>国民に原発の知識が普及。その後に大規模な事故がなかったことから、逆に
>国内原発への信頼度は増している。
チェルノブイリの事故が起こっていることを旧ソ連の関係者以外でいち早く察知したのがスウェーデンだったのだ。それほどあの事故の影響を被ったのもスウェーデンだったのである。にもかかわらず、それを契機に「原発の知識が普及した」というから、改めてスウェーデン国民のエネルギー問題に対する真摯な態度に敬意を表したい。
> 閉鎖直後の地元紙の調査では「もう一度国民投票をやり直すべきだ」とい
>う意見が過半数を占めた。
じゃー何故やりなおす前に1基閉鎖したのだろう。恐らく政争の具にされたとしか考えられない。気の毒なのは、国民である。
> 「安全で経済性の高いうちは原発を使い続ければいい。現在の電力状況を
>考えれば残りの原発を閉鎖することなど不可能だ」。与党社民党の支持団体
>で同国最大労組、「スウェーデン労働組合連合」のエネルギー問題担当ヤン
>エリック・モロー氏はこう指摘する。
何故こういう人の意見が通らないのか、腹立たしい限りである。
>北欧での電力市場の自由化と、地球温暖化防止への関心の高まりという二つ
>の要因が、安価で二酸化炭素を出さない原発の存在意識を逆に高める結果に
>なった。
わが国で「原発の存在意識」がなかなか高まらない要因の一つは、否定的な報道がまかり通っているマスコミの存在ということを、この記事を書いてくれた朝日の記者の方はどう思っているのだろう。また、批判的なジャーナリストの多い中で、この記者は、同僚たちからどう見られているのだろう。
> こうした状況の中で、少数与党の社民党が、政権延命のために「原発閉鎖」
>を反原発を掲げる他党との取引材料に使ったことが、今回の原発閉鎖への国
>民の反発を決定的なものにした。
党利党略のために原子力問題を利用するなんて、政治家の風上にもおけない。日本の政治家の先生方も、今度のスウェーデンのミスリーディングを対岸の火事としないでもらいたいものである。
つづき