交通機関の安全、食べ物の安全、住居の安全、子供たちの安全、 株取引の安全・・・安全性を考えなければならない分野がどんどん 拡がっている感が拭えない。
安全性を高めるには、安全規制およびチェックシステムを強化す るのがオーソドックスな方法だが、いずれも人間が関与しなければ ならないことを考えると、完璧な方法とはいえない。
新たな危険性が見つかった段階で法規制を強化制定するという対 策を繰り返していたのでは、究極の解決方法など、いつまでもたっ ても見つからない。これぞ「イタチゴッコ」といわずしてなんとい えよう。懸命な国家なら、いつまでも続けている訳にはいかないだ ろう。
社会のルールとか法規制は必要最小限度にとどめ、そこに住む人 々のモラル、倫理観を高める努力こそ、国家百年の計でもある教育 理念の柱にすべきではないだろうか。
電車の制限速度違反、鶏インフルエンザの隠ぺい、マンションの 耐震設計偽装、児童略奪のうえ殺害、株価つり上げのための虚偽の 情報開示・・・、いずれも関わった人間の倫理観の低下によって起 こされた事件である。
事件の再発防止策には、安全規制を見直し、チェック機能、監視 体制などが強化されるであろう。しかし、悪事を働く人間は、昔か ら「法の網をくぐる」ことに長けている、といわれてきたように、 完全な法律は恐らく見つからないだろう。本来「法」とは、「倫理」 を補完する位置にあったはずだが、今や法で雁字搦めにしようとし ているように思える。
安全審査・検査体制においても、マンションの偽装問題で、その 検査機関が公的な機関でなければならなかったか、あるいは民間で も十分機能が発揮できるか、といった議論が白熱している。しかし、 組織が公でも民間でも同じで、そこで審査・検査を行っている審査 官・検査官の能力と倫理観、プロ意識こそが重要であるはずだ。
ただ、民間の検査機関を複数つくり、市場経済のように自由競争 をさせる通常の民営化こそが問題である。何故なら、審査・検査に 手心を加えられる動機が入り込む隙間があっては、独立性と公平性 が保てないからだ。
そして、安全審査・検査を厳正に行うためには、その組織が公的 機関であろうと、民間の機関であろうと、その中で担当する審査員 や検査員に十分な能力と倫理観があるかどうか、厳しく要求されな ければならない。
原子力の安全性は最も厳しく問われ続けてきたが、他分野の安全 問題を「対岸の火事」としてはならず、いまこそ審査官・検査官の 人となりを再検証すべき時であると考える。
「かえるの声」第295号(2006年2月1日)