<世情寸言>−−−−−−−−−−★戦争と平和
非現実的な絶対平和主義
- 日本人として忘れてはならない8月15日がまたまたやってきます。平和ボケした日本人の一人として、8月だけでも戦争と平和について考えてみたいものです。
- そこで、西部邁(すすむ)著「戦争論−−絶対平和主義批判」(日本文芸社)を8月に先立って読んでみました。
- 例えば、先の大戦で、日本人はどこの国民より勇敢に戦い、捕虜になっても「生きて虜囚の辱(はずかし)めを受けず」の教えが守られていたと思っていた。しかし、日本の捕虜は拷問どころか尋問もしていないのに自分の部隊の様子を密告する兵隊の割合が他国民と比べ、10倍も多かったという米国側の報告書があるそうです。
- それだけではありません。占領中、占領軍の総指令部に寄せられた日本人からの投書が30万通も米国務省に保管されているそうです。その投書のほとんどは「占領軍の皆様、戦争中に悪いことをしたあの日本人を逮捕して下さい」といった類の密告だそうです。著者は「何百通くらいならこの世には変な人間もいるものだといえるが、30万通ともなると、これは日本の国民性を示す資料といわざるをえない」と分析しています。
- つまり、「日本人は戦争中でも戦争に負けてからも、常識から考えて、いかがわしく卑しく不甲斐ないといわざるをえないかたちで行動した」というのです。そして「たとえば「平和と民主」というきれいごとを並べながら、戦後という時代にベールをかけるようなやり方にはそろそろ終止符が打たれるべき」と−。
- そして、絶対平和主義に対して「平和主義とは畢竟(ひっきょう)するに「ガンジー主義」のことでしかありえない」、つまり「ガンジー主義にもとづくならば同国人による略奪や侵害にも莞爾(かんじ)として耐えなければならない」「日本人はそれに耐えられないので、警察の物理力を当てにしている」のです。
- 「他国の不正義の侵略をまで、平和を理由に甘受せよと要求するのが平和主義だというのなら、平和主義とは史上稀にみる残忍酷薄なイデオロギーだというしかない」。絶対平和主義が現実的に受け入れられるほど、人類はまだまだ立派ではないのでしょうね。 (鉄)