原子力に対する世間の風当たりが厳しい。たびたび失敗を繰り返した業界に所属する人たちに対してはもとより、原子力平和利用の技術そのものに対する批判も高まっている。
つまり、すでに運転中の原子力発電所は、施設の寿命が続く限り使うとしても、使用済み燃料を再処理してまでプルトニウムや燃え残りのウランまで取り出して再利用する必要性はあるのか、といった意見が目立つようになってきた。
そういった意見は専門紙誌に止まらず、一般紙誌やテレビのワイドショーなどでも取り上げられているから、われわれ一般市民の耳目に接する機会が最近とみに増えてきている。
言論の自由を当然の権利としてきたわが国にとって、いろいろな意見が出てくるのは有り難いことだ。有り難いのだが、ことエネルギー問題、とりわけ原子力問題に関する意見は、現状は反対の意見があまりにも多く、バランスを欠いた判断材料となる可能性が高いといわざるを得ない。
原子力発電は、民間の電力会社が独自の計画に沿って建設し運転しているのではなく、正式にわが国のエネルギー政策に基づいて進めていると聞いていた。ところがその政策について、政府から国民に向かっての説明がない。「原子力はわが国にとって必要不可欠です。このエネルギー政策はまったく変えるつもりはありません」といったような説明が小泉首相あたりからあってしかるべきだろう。
しかるべき立場の方から揺るぎない原子力推進政策の説明がないまま、反対意見ばかりが世論を席巻していると、善良な一般国民までが、日本のエネルギー政策から原子力がはずされる日が近づいたのではないか、と疑心暗鬼に囚われるようになるというものだ。
われわれ国民がいま最も強く持つ疑念は、
1)原子力は「安全」か?
2)原子力を進めていればエネルギーも環境も「安心」していられるのか?
3)原子力発電のコストは他の電源と比べ「安価」か?
・・・これら3つの「安」のつく疑念を晴らしたいのである。
エネルギー資源の少ないわが国から、準国産エネルギー源である原子力を完全に停止して、電力の安定供給が望めないことは、重々承知している。
京都議定書でわが国が約束した温室効果ガス削減目標の達成は原子力発電なくして不可能であることは、専門家でないわれわれ一般市民といえども、百も承知している。
承知しているからこそ、先の疑念を晴らして、これからも原子力は国是としてやっていくのか、それとも止めて別の道を進もうというのか、そろそろはっきりさせたいのだ。