地球温暖化防止で最も役立たせなければならないはずの原子力発電に対し、社会の逆風はますますその風速を増している。
スリーマイルアイランド原子力発電所やチェルノブイリ原子力発電所の海外の大事故は別格としても、1996年12月には「もんじゅ」のナトリウム漏れ、99年9月には高浜発電所のMOX燃料データ不正発覚、99年9月には燃料加工工場での臨界事故、そして今回の浜岡1号機の配管破断と水漏れ、とイメージを悪くする事件が相次いだ。
これらマイナス要因の影響は、新潟県巻町の住民投票(96年8月)、福島県知事のプルサーマル受入凍結、新潟県刈羽村の住民投票(01年5月)、そして三重県海山町の住民投票(01年11月)のいずれもの原子力を否定する結果に現れている。
「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故以降の原子力を巡る事象には、特にフォローアップの段階において人的な要素が大きく係わっているように思えてならない。すなわち、技術、知識レベルの低下も含め、責任感、モラル、人間性の低下が見られるのではないか、と思えてならない。現場から遠く離れた第三者的な我々の杞憂に過ぎないことを願いつつ、あえて従事者のレベルのチェックを関係機関にお願いしておきたい。
失業率の記録を更新する時代とはいえ、一部のマスコミなどに煽られ、原子力に対する風当たりはますます強くなっている今日、原子力に関連する職業を自ら希望して求める優秀な若者はいるだろうか。
しかも、最近のわが国のエネルギー政策は、電気事業の自由化政策に代表されるように、原子力産業を支えるどころか、足を引っ張っている。
電力の自由化は、自由経済の競争原理を働かせ、コストダウンをもくろむものである。主旨は間違っていないが、在庫が効かない電気という製品の原価は、いくら競争原理を働かせても下げられるものではない。競争は、地球資源にとって、地球環境にとって好ましい方向とは逆の、安易な方法で製品を供給しようということになるのではないだろうか。
原子力の発電コストも、ここ数年でずいぶん下げる努力が図られてきた。平成4年の試算での原子力の発電原価はkWh当たり9円程度としていたが、平成11年の試算で7・7円とし、しかも耐用年数を40年に伸ばして5・9円となっている。
無駄をなくしてコストを下げるならいい。しかし、定期検査期間の短縮、人材のレベル低下など、安全に係わる分野での合理化は、慎重の上にも慎重を期してもらいたい。