<論>電源構成などの決定は

市場任せでいいはずない


 「世紀末」という言葉が相応しいと思えるように、「20世紀最後の10年」は、惨憺たるものであった。

 バブル後の日本経済しかり、行財政改革すら満足に進まない政治の世界しかり、少年による犯罪増加に代表される子供達の教育環境しかり・・・。思い出すのもおぞましい事件や出来事が、「20世紀最後の10年」に凝縮されていたように思えてならない。これらの解決の糸口すら見いだせないで、一切合切を引きずって新しい21世紀を迎えたのだ。

 当紙の主要テーマであるエネルギーの分野でも、この「20世紀最後の10年」は大きな変化と試練の年月であった。ここにも焦眉の急が告げられている多くの課題を21世紀に持ち越しているのである。

 自由化の波が押し寄せている電力業界はとくに、より厳しい経営が強いられている。

 地球温暖化防止に向け、化石燃料の消費が抑制される一方、その頼みの綱と目される原子力発電の新規建設がより厳しくなった。その理由として、「20世紀最後の10年」に起こった事故や国民の信頼を裏切る関係者の不誠実な行為がまず挙げられよう。それに、ヨーロッパ諸国で原子力は政争の具にされ、原子力離れをますます進める結果になっているのであろう。

 日本は、21世紀も引き続いて原子力を電源の主要構成要素としてその開発を進めるか否か、今まさに、その選択の岐路に立たされていると言っても過言ではなさそうだ。

 幸か不幸か、最近の経済の低迷で、電力の消費量の伸び率が落ちているから、今後10年間は、たとえ原子力の新規参入がなくとも、電力の需要が供給を上回ることはない、と指摘する専門家は少なくない。

 さりとて20年、30年先のわが国のエネルギー事情を考えるとき、現時点ですでに電力の3分の一強を占めている原発を順次なくしていっていいという裏付けもない。省エネルギーや自然エネルギーに総発電量の3分の一をこの数十年先には任せられるという確固たる技術も、残念ながら、まだない。

 電力自由化は、電源構成をも市場、つまりは個々の企業に任せるということだ。が、そうなると、巨額の初期投資を要し、立地地点の選定と地元の説得に計り知れないほどの手間暇を要する、つまり社会的受け入れに不確定要素を背負うという原発建設を、それでも進める奇特な企業は存在しないだろう。

 ベストミックスが求められる電源構成は、市場に任せておいていいはずがない。環境保全と供給安定性を配慮しつつ、長期展望で検討されるべき難しい課題だからだ。