原子力開発は苦節50年

CP-1から421基もの発電用原子炉まで


 1942年12月2日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ大学のフットボール場観覧席の下、ほぼ5メートルの高さに積み上げられたグラファイトブロックのパイルの周りに科学者達が集まっていた。計算しながら指揮を取っているのは、ヒットラーのナチスに追われて移住してきたイタリアのノーベル賞物理学者、エンリコ・フェルミであった。このグラファイトブロックのパイルこそ世界で最初の原子炉、CP-1(シカゴ・パイル・ワン)である。

 あれから丁度半世紀が経過した、1991年12月末現在、地球上には、421基の発電用原子炉が運転中である。これら総発電容量は、3億4,280万2,000kW、グロス電気出力である。全世界で供給されている電気の約5分の1が、原子力からということになる。

 CP-1から50年にわたる原子力開発は、決して平坦なものではなかった。

 ウラン原子核に中性子を当てると、核分裂を起こして莫大なエネルギーを放出する。と同時に、2、3個の中性子も飛び出してくるという、いわゆる核分裂連鎖反応の可能性が確認された。時の世界は、風雲急をまさに告げようとしている頃であった。

 科学史上最大の成果ともいえる核分裂連鎖反応の確認が、この最悪の時期に出てきたこと自体、不幸なスタートであった。研究に携わった科学者自ら原爆製造を喚起せざるを得ない事態にまで追い込まれている。これもまた科学史上まれにみる異常事態であった。

 その後の平和利用でも、1979年のスリー・マイル・アイランド、1986年のチェルノブイリの両原子力発電所事故と、事故の情報が世界を駆け巡り人々を震憾させるような、マイナス要因となる事件が起こった。

 一方、国内に目を転じても、世界で唯一の原爆の被爆国ということもあいまって、いくら平和利用に限定した開発といえども、戦後民主主義の道を歩むことに決めた日本としては、地元住民はもとより、国民の理解を得て進めなければならない原子力発電所の用地確保などは、開発当初から今日まで、その難しさは一貫して変わっていない。

 それでも、技術立国、経済大国日本は、運転中の発電用原子炉の基数、および原子力発電容量の大きさのいづれのデータにおいても、米国、フランスに次いで第3位の位置にある。ちなみに4位以下は、ドイツ、ロシア、カナダ、ウクライナ、英国、スウェーデン、韓国とつづき、計28カ国が現在運転中の原子力発電所を保有している。ルーマニア、中国、キューバの3国は最初の原子力発電所を建設中であり、トルコ、ポーランド、エジプト、イスラエル、タイもただ今計画中である。

 1992年6月、ブラジルで開かれた「地球サミット」のキーワードの一つは「持続可能な開発」だが、原子力も例外なく、「持続可能な開発」を、これからも数奇な運命を引きずりつつ、進めていかなければならないことは確かなようだ。

(水口 哲)