不気味なイメージ一掃のチェレンコフ光

光の速度より速い荷電粒子が、透明な物質と作用して


 原子炉が停止している時、原子炉の炉心部分が入っている圧力容器の蓋を開けて井戸の中を覗くように水の底を見下ろすと、青白くボーッと輝いた光を目にすることができる。これが世にいう「チェレンコフ放射光」である。一般見学者では、このチェレンコフ放射光を見る機会は少ないだろうが、使用済み燃料が貯蔵されているプールでもうっすらと見られることがある。

 さて「放射線」だが、何か恐ろしいもの、汚いもの、といったイメージを一般に持たれている。それも放射線は、ふだんは目にも見えず、臭いもしないということで、一般の人びとには理解し難いからであろう。ところが、元来「放射線」は、科学の領域では、取り立てて捉えにくいしろものではない。むしろ、「放射線」の実態は、比較的よく知られた分野なのである。

 「放射線」は、ごく単純な計器で測定が可能だ。直接目にすることはできないのだが、他の物質と作用することによりその現象を通して放射線を見ることができる。その現象の一つが「チェレンコフ効果」で、そこから出る光を「チェレンコフ放射光」という。

 ガラスや水のような透明の物質の中を荷電粒子が通過する時、次の条件を満たすなら、通過する粒子がつくる電磁場の作用によって、物質から青味をおびた光、つまり電磁波が放出されるようになる。

ν>C/n

 但し、νはその粒子の速度、Cは真空中の光の速度、nは物質の屈折率であり、C/nはその透明物質中の光の速度を意味する。この現象は、1934年にはじめて観測したソ連の物理学者、チェレンコフ(Cherenkov)の名をとって、「チェレンコフ放射光」と名づけられたのである。ちなみにこの現象は、1937年、同じソ連の物理学者、フランクとタムによって、論理的に解明されている。

 チェレンコフ放射光が発見された1934年といえば、世界は風雲急を告げる情勢であったが、核物理学にとっても、歴史に残る重要な年であった。エンリコ・フェルミは中性子によって原子核を人工的に変換させていたし、あのマダム・キュリーの娘夫婦(ジュリオとイレーヌ)は、人工的にも放射性物質がつくれることを発見している。また、湯川秀樹が最初の中間子論を発表したのも、この年である。

 これらの科学者たちは、当然ながらノーベル賞を受賞している。ジュリオ・キュリー夫妻は1935年に化学賞で、フェルミは1938年に物理で、そして湯川は、戦後の1947年に同じく物理賞で受賞した。チェレンコフは、少し遅れて、1958年、フランクとタムとともに物理学で受賞している。

 1958年といえば、日本では皇太子妃に民間の正田美智子さんが決定し、ミッチーブームが巻き起こっていた。その前年の昭和32年には、茨城県東海村で、日本の第一号原子炉、JRR-1、に「原子の火」がともり、わが国にも遅まきながら原子力時代が到来した。

                                           (水口 哲)