戦争と平和の中に生きた

昭和の初めは、家電の開花時期でもあった


 昭和は大変な時代だった。まず昭和2年には金融恐慌がおこり、全国の銀行が一時、店を閉じる騒ぎとなった。これが納まったと思ったら、1929年(昭和4年)10月24日にニューヨーク株式市場が暴落し、世界恐慌の始まりとなった。就職難で「大学は出たけれど」という映画が受けた。東北地方が凶作に見舞われ、娘の身売りが相次ぐといった暗いニュースが多かった。その後日本は急速に軍国主義への道をたどることになる。

 こんな状態だったから、国民の生活は今の水準からいえば貧しかった。

 エネルギー生活に例をとれば、昭和の初めは電灯普及率が90%を越え、世界においてもスイスに次ぐ普及率であり、それに東京、大阪などには都市ガスが普及していた。しかし快適な生活とはいえなかった。一般家庭で電灯がつくのは夕方から早朝まで。冬の暖房は火鉢(ひばち)に炭火を入れた。

 大都会ならともかく、多くの日本人は木炭と薪で生活した。薪炭は実に1950年代末まで民生用エネルギーの首座を占めた。鉄道の貨物駅は、秋になると薪炭が山のように積まれていた。

 だが、そうはいっても日本にも大衆消費時代が大きく展開し始めた。東京などで都市化が進み、サラリーマンといわれる人種が増えた。職業婦人、今でいうOLが新しい職場に華々しく登場してきた。昭和の初め、銀座に、断髪、ドレス、ハイヒールといったモダン・ガールが現れた。人々は彼女たちを「モガ」と呼んだ。

 大都会にデパートがふえ、この時期、化粧品、石鹸、歯磨などの国産品ブランドが確立した。キャラメル、ドロップ、チョコレートの消費も伸びた。そしてこれらの大衆商品は新聞広告を通じて大きく売上げを伸ばした。「一粒300メートル」のグリコ、「初恋の味」のカルピスのキャッチフレーズは、実はこの時期の作品である。

 朝日、毎日、読売といった全国紙が大きく伸び、出版界でも「円本」と言われる全集が多くの読者を集めた。ラジオ受信者も昭和6年には100万人を突破した。

 ラジオの普及とともに家庭電器が伸びた。松下電器はラジオと並んで、ランプ、アイロン、電気こたつを「三大製品」として宣伝した。当時の「三種の神器」だったのである。

 もし日本が戦争に巻き込まれていなかったら、もっと早く生活大国になっていたかも知れない。だが、やってきたのは第二次世界大戦であり、その後のきびしい敗戦である。そして敗戦の苦痛を慰めてくれたのは、昭和を通じてラジオやレコードでうたい続けた東海林太郎や古賀政男の悲しいメロディーであった。

 さて日本は経済大国から生活大国になるという。平成時代の日本人はどんなすばらしい生活を送ることになるのか。果たして昭和をしのぐ時代になるのだろうか。

(大谷 健)