経済や生活の近代化が先進国から発展途上国に及ぶにつれて、エネルギーの消費はうなぎ上りにふえるようになった。識者は資源・エネルギーの枯渇を心配し、ローマ・クラブは「成長の限界」を説いた。
1973年秋の第一次石油危機(日本では石油ショック)は、まさに石油多消費国を痛撃した。何とか量は確保できても価格は暴騰した。ひどいインフレは、不況を招き、各国の経済成長は抑えられた。1979年の第二次石油危機は、世界の人々にもはや経済の高度成長はありえないと思わせた。
だが人々は高い石油に対して、省エネ(エネルギーの節約と効率的使用)と代替エネルギー開発で対抗した。冷蔵庫の消費電力は石油危機時の三分の一になった。石炭利用が復活し、液化天然ガス(LNG)や原子力発電の利用が進んだ。石油があまり高くなったので、どれも採算が合うようになったのだ。
代替エネルギーが広がると、石油の売れ行きが悪くなり、値下げしないと売れなくなった。日本ではさらに円高の効果も重なってエネルギー価格は低下した。電気、ガス料金は円高差益還元ということで引き下げられた。
世界の経済成長を抑えていたエネルギーの高価格が是正され、日本を先頭に各国の経済が立ち直ってきた。そうなると再びエネルギー消費がふえる。石油危機の時、ひかえ目に策定したエネルギー計画はふくれ上がる消費に見直しを迫られ、電力過剰は一転して電力不足を心配しなければならなくなった。
それに1989年のパリ・サミットで地球環境問題が取り上げられ、地球温暖化や酸性雨対策として化石燃料の抑制が叫ばれるようになった。石炭、石油をもやすのはやめようというのである。現実の問題として、今量的に石炭、石油に匹敵できるものはない。ソ連のチェルノブイリ原発事故のため、原発反対の声が高いが、地球温暖化防止の切り札として、原発が再評価されるようになった。
省エネをしても、なおふえるエネルギー消費の増大に対応し、石油の資源量や地球環境対策を見守りながら、軽水炉─高速増殖炉─核融合という原子力エネルギーの高度利用の道を探っていかねばならないだろう。
(大谷 健)