| アーティクル番号 | 11 |
| 書き込み日時 | 1997/03/11 15:30 |
| 発言者 | SECRE. (ENG0020) |
| アーティクル行数 | 38 |
| タイトル | 双方向対話の真価が発揮できるか/回覧板・10/92.10.01 |
電脳回覧板 No.10
双方向対話の真価が発揮できるか
「同じ人間だから」、とか「同じ日本人じゃないか」、といった言い方をします。
だから、話し合って分かりあえないはずがない、といいたいのでしょう。本当にそ
うでしょうか。いくら話し合っても理解し合えない、ということだってあるはずで
す。だから喧嘩だってするし、いまだに戦争だってあるじゃありませんか。
資本主義と共産主義は、水と油のように、長い間冷戦を続けてきました。ようや
く本格的な大戦争にならずに理解し合えた、というだけではあまりにも楽観視し過
ぎです。それとて、根気よく話し合ったから戦争が起こらなかった、とは断言でき
ません。核抑止力によって戦争にまで発展しなかっただけかも知れません。
イデオロギーの違いを超越して互いに理解しあえる、なんてことは全く不可能に
近いのではありませんか。同じように、理解し合うことが不可能に近いものに、宗
教があります。それぞれの民族がそれぞれ違った宗教を信じているとき、政治的に
一つの国がつくられても、心底からの共存共栄はできず、いつかは爆発して互いに
傷つけあうことにもなりかねません。旧ソ連の国々の独立運動やユーゴスラビアの
内戦などは、違った宗教が相入れない典型的な例ではないでしょうか。
このように見てきますと、冒頭に挙げましたように、「同じ人間だから話し合っ
て、分かりあえないはずはない」という考え方は、机上の空論と、残念ながら片付
けざるを得ません。むしろ、感情の起伏が激しく、しかも思考能力をもった人間だ
から、話し合いだけでは、理解しあえるところまで到達するのは難しいのかも知れ
ませんがー。
パソコン通信は、従来のメディアにはない双方向伝達という機能も発揮できる革
新的なメディアであります。ですから、人間社会に必要なコミュニケーションがよ
り機能的に可能なメディアといえます。
ところが、いくら機能的なコミュニケーションの場を提供されても、話し合いが
うまく運ぶとは限りません。ロマンチックな雰囲気でお見合いがセットされても、
主役の二人にその気がなければ、いい関係までには発展しないのと同じです。